君に疵を残すのが、この手だけであればいい
月がもう、随分と高い。
闇の中白々と照らすその光を仰いで、綱吉は荒い息の中、ようやくほう、と一つ息を吐く。
つい数時間前、雲雀と辿り着いた円形広場。その通り側の半円の縁に一人は階段にぐったりとしゃがみ込み、一人は石像の一つに凭れるように佇み、そしてもう一人は広場から上がり切った階段の縁に燐と立っている。
人けのない広場に居合わせている、という以外、何の共通点もないような三人分のその人影。やがて、一人荒く繰り返していた呼吸を抑えた綱吉は、苦いような酸っぱいような、不味い唾を無理矢理に呑み込んで、気になっていたことをどちらにともなく問う。
「千種さんと、犬さん、は?」
地上に戻るなり胃の中のものを胃酸まで含め吐き戻した口内の不味さと気持ち悪さを堪えながら綱吉が問う。
酸に灼けた喉が少し、ひりつく。
「応援呼びに行ってるんでしょ?」
「ええ、鎖が外れたら真っ先にそうするように言いましたから」
それにしても、こういう面倒臭い事態にならないように、ボンゴレと取引したつもりだったんですけどねえ?
雲雀の言に答えて返される骸の言葉に、綱吉は怯みながらもすみません、と何とか謝る。
「まあ、いいでしょう。凪のことはとりあえず、手遅れになる前に手を打っているようですし」
「ど、どーも…すみません…。そ、それにしても、言った、って、いつ…」
本気で首を傾げる綱吉に、
「君、本当に馬鹿?アタマ使いなよって言ったでしょ」
「ないものは使えないってことですかね。脳味噌入ってます?」
ステレオで返される、心底呆れ返った声。
それに、うう、と小さく唸り身を縮める綱吉に骸は一つ嘆息して
「僕の能力、憶えてます?憑依能力。この肉体にいないときの僕の状態は、丁度、憑依弾を撃ったのと似た状態なんです。囚われる時に六道の能力は向こうに抑えられてたので、少し違うんですけど。そして、千種たちは今でもずっと僕と定期的に契約している」
ここまで言っても、まだ分かりませんか?
嫌味そのもののように、ひどく丁寧な口調で確かめるように小首を傾がせて問うてくる骸に頬を引き攣らせながらも、綱吉はああ、とようやく合点がいく。
「どっちかに憑依して、状況を伝えればいいのか…」
「その通り。よく分かりましたねぇ、大正解です」
「うっさいな!馬鹿にするなら馬鹿にすればいーだろぉっ!?」
何でわざわざ嫌味に言うかな!?
きつく眉を寄せる綱吉の様子に、くふふ、と心底楽しげに返される独特の笑声。
「ていうか、何で僕まで契約される必要があったの」
本当に気持ち悪かったんだけど。
闇を背にきつく睨み下ろしてくる雲雀の機嫌は、笑い続ける骸に反して下降線らしい。
それも、直滑降急降下。
「ヒバリさん、も…?」
いつだと首を捻るところに、思い出されるのは手の甲を押さえる姿。
あれは丁度、骸が綱吉の体を肉縛する、直前。
「そうでもしなければ、復讐者に突っ込んでいってたでしょう?千種達の件でただでさえ混乱してた状況をあれ以上おかしくされちゃたまりませんよ」
「はっ!結局全員咬み殺して終わり、だったじゃない。脱獄囚?」
「まあ、別にそれはいいんですよ。自分一人ならどうとでもなる。千種と犬は逃してしまえば全面的にボンゴレがフォローしてくれるはずなので、脱獄は僕一人だけですし」
あれだけ派手に暴れたので、しばらくは彼らも動けないでしょうし。
肩を竦めながら濡れ髪を鬱陶しげに首筋から掻きやっての、骸の台詞。
伸びた髪が、今は二の腕にまでも絡み付いて。動く手指が、病的なまでに青白く、細い。
「―――骸も、脱獄にはならないよ」
その様を見つめながらぽつりと呟かれる、高くも低くもなりきらない声。ひどく静かに紡がれた声に、雲雀と骸の双方が同時に階段に座り込んだままの綱吉へと視線を動かす。
「千種さんと犬さんに関しては、元々復讐者と取引が成立しているんです。骸が、ボンゴレノ守護者の任を、請けた時から。今回のことは、向こうが焦って行った契約違反だ。―――だから、付け入る隙もできる。骸に関して、特赦を求められる」
淡々と。
告げられる声に、眉を顰めるのは骸。
「特赦はありえない。先ほど復讐者も言っていたでしょう。身内に、しかもボンゴレの守護者なんていう最側近の位置に関する特赦、なんて」
「守護者にはありえない、なら、かつてボンゴレ十代目を襲撃した敵だったら?」
「守護者でない、ただの六道骸、だったらどうですか?」
真っ直ぐに闇の向こうの骸を見つめ。
見せ付けるように開いた拳の中で、じゃらりと音を立てるのは。
分厚い、鎖と。
「―――霧のリング…」
「凪から、譲り受けました。本物、です」
静かに続けられる声に、返されるのは沈黙。
高い位置から降る月光を浴びて、燻(いぶ)したような銀が濡れたように鈍くその色を煌かせて。
--------------------
next or back