君に疵を残すのが、この手だけであればいい



 目の前に現れる、重厚そうな金属扉。
 思わず立ち止まる自分の横を擦り抜けるように、黒に包まれた痩身が壁に埋め込まれてあるパネルに、指を伸ばす。
 淀みなく叩き込まれる、六文字のアルファベット。
 何だ、と思う間もなく、目の前で開き始める扉に、それが解錠のパスワードであることを悟る。
 悟る、けれど。
「なん、で」
「生きて戻れたら、赤ん坊に聞いてみなよ」
 多分僕に聞くより、余程面白いことを教えてくれると思うよ。
 うっそりと笑む青年が、言い終わる頃には、正面の扉も開き切り。

「―――Benarrivato,Vongola- X 」
 ようこそ、ボンゴレ十世。

 個人、というには余りに個の稀薄なその声が、不気味なほどに静かに綱吉達を迎えた。



 ぐ、と足に力を込める。
 足と、拳と、噛み締める奥歯。駆け出しそうになるのを、寸前で堪えて。
「―――復讐者、」
 独語にも満たぬ、それは思わず零れた音だ。
 ひどく掠れて、熱にうかされたように頼りない。
「イカニモ」
「ソレハ、我等ノ名乗リ」
 呟く声を拾い上げて、返される声はのっぺりと、作りかけの粘土細工のように表情がない。
 空虚な声だ。
 指向性も意思もないのに、器だけが確固としてあるような。
 綱吉と雲雀が並び立つ丁度正面、扉を挟んで相対するようにいる三体の人影が、その声の主。
 人型の影。影のような、中身のないその姿。
 人間と、言い切るにはどこか憚られる。
 クラウンの高いシリンドゥロ(トップハット)に古めかしいスーツとクラヴァット、インバネスのように襟の立った長いマントまでも闇で染め上げたかのような黒。そして外に見えるべき肌の色は、その顔面に至るまでをまるでミイラのように隙なく白の包帯に覆われて。
 居並ぶ三人が、三人とも。
 まるで個、などないように。
「次期ボンゴレ十世」
「マズハ、祝イヲ。ソナタノ戴冠ニ、祝辞ヲ」
「ソシテ、用件ヲ」
「コノ夜更ケニ、コノヨウナ場二訪ネ参ラレタ、用件ヲ聞コウ」
 順繰りに言われたのか、一人が続けたのか、それとも唱和したのか。全くに判じ得ない、その声。
 ただ隣から流れてくる不機嫌を顕わにした空気に、は、と周囲に視線を走らせれば、いつの間にか左右に三人の組が二組ずつ、つまりは十人以上が増えている。
 いつの間に。
 まるでホラーだ、と思いながら、綱吉はぐび、と音を立てて渇いて張り付くような喉で唾液を飲み込んで。
「―――用、件?」
 繰り返す綱吉の語尾が、跳ねる。
 用件?
 そんなもの。
 感情に任せて上げた視線は、真っ直ぐに正面に佇む復讐者を通り越し、まるで標本のように筒状の水牢に―――その中に繋がれる青年に、向かう。
(むくろ、)
 唇だけが、淡く呟く。
 相変わらず、応じる声はない、けれど。



こぽ、り、




「―――っ!」

 芯が、凍える。
 凍えて、沸騰する。
 体中を暴れ狂うような激情が、『何』に起因するものか、何て嫌というほど分かっていたから必死で両目を瞑って視界を闇に閉ざす。
 眉間に鼻筋に、深く深く皺が刻まれるほどに、きつく。
 立てた作戦、組んだ計画、揃えた駒。
 何とか考えて、考え抜いた道筋を頭の中で思い描こうとするけれど。
 けれど。

 悲しげな、少女の顔。
 必死を湛えた、青年たちの顔。
 夏祭り。
 人いきれ香具師の喧騒屋台の香気白熱灯真夏の暑気暑気払う水の香草の香夜闇の色闇を湛えた水面と音なく滑る無数の孤独の灯。
 繋いだ手のひらの熱と硬さ。
 少女の小指に咲いた、涙のような蕾のしずく。
 はらはらと。
 感じぬほどの重さで降り積もった、蓮の花弁。
 それっぽっちの、存在証明。

 ―――ああ、
 水影が、消えない。




こぽ、と。
    うたかた。

 むすんで、はじける。
 はじけて、消え、





「―――返、せっ!」





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