空転する運命の歯車
「し、死ぬ…」
部屋に入るなり今朝寝ていたベッドに倒れこみながら、綱吉は絞り出すように声を出す。ぼふ、と柔らかなクッションとスプリングに受け止められながら、整えられていたベッドカバーやシーツにホテルみたいだとぼんやりと思う。
朝起きてすぐリボーンと話をして、朝食もそこそこに様々な部屋に連れ回され、やれ採寸だやれ礼儀作法だやれマフィア社会の歴史と勢力図だと目が回るほどの忙しさで。そんなものが必要なのかと思うような、ヴァチカンから招かれた司教(司教って何だ)だという老人に付ききられて説教まで始められた時には真面目に逃げ出したくなったが、背後にリボーンが控えていると言う時点で夢もまた夢の話だ。
そんなわけで文字通り朝から晩まで引き摺り回された様々なことを叩き込まれようやく開放された現在、イタリア時間で午後十時。
「…もっかい凪のお見舞い行きたかったんだけどなー…」
ごろりと広いベッドの上を転がって仰向く。
結局凪の元には昼に貰った休憩時間に顔見せくらいしかできていない。
視線の先に広がるのは精緻な天井画を施した高い天井と淡い温かな光に煌く小ぶりのシャンデリア。分不相応としか言いようのないその風景に、休もうにも落ち着かず、気の休めようがない。
はあ、と疲れたように無意識に零れるため息。
確かに自分はボンゴレを継ぐことを決めたけれど。
ボンゴレを告ぐことは手段であっても目的ではあり得なかったのに。
染められていく。
流されそうだ、と頭の隅で苦く思う。
と。
がちゃり、と。部屋の扉の開く音。
ノックも呼びかけも、名乗りもなく。
ベッドに横たわっていた綱吉は弾かれたように身を起こし、にわかにその纏う空気に緊張を走らせる。
当座の自室として宛がわれた、今の部屋。今まで空き部屋だったらしい奥まった一室を整えさせたらしい部屋の前には、仮住まいとはいえ次期ボスの居室ということでそれなりの警備が敷かれていて。
扉のすぐ前に二人、その向かい側に二人。
そして近くの数部屋の前にも同じく二人ずつ、そして廊下の曲がり角ごとにも二人ずつ人が配されていることを綱吉もその目で見ている。何より気を抜いていたとはいえ、全く気配を感じられなかったのだ。
疲れに霞がかっていたような頭の芯が、すっと晴れ。全身の筋がいつでも動けるように強く緊張して。
「―――何だ、元気そうじゃない」
ドアを開けて入った人物は、入って早々ベッド上に起き上がっている綱吉を見つけると綺麗に響く声で小さく笑い。
「赤ん坊に聞いたら死にかけてるって言われたんだけどね」
「ヒバリさん…」
捉えた人物に身体から力を抜きながら、綱吉は懐かしいような心地でその青年の名を呼んだ。
「それで、どうするつもりなの」
前置きなどという言葉を知らぬげに単刀直入も極まったような雲雀の台詞。それに苦笑を零しながら、綱吉はどうしましょうねー、と呑気なのか諦めなのか何とも覇気のない声を返す。
「…ちょっと」
その綱吉の様子に機嫌を急降下させた雲雀に、綱吉は慌てて両手を顔の前でパタパタと振って、
「あーいや、スミマセン。ふざけてるワケじゃなくて、本当に身動きつかないんですよね…警備っていうか監視厳しいですし。…あれ?そういえばヒバリさん、どうやってこの部屋入ってきたんですか?」
「別に。群れてたから咬み殺しただけ」
僕の邪魔をしたしね。
肩を竦めながらあっさりと言ってのけられた言葉に、綱吉は頭を抱えて心の中ですみませんごめんなさいと平謝りする。恐らくは廊下で倒れているだろう警備担当の強面のお兄さん達に。
「…って、あ。じゃあもしかして、今なら出れます?」
謝りながら気付いた事実に顔を上げれば、
「………君、本当に馬鹿でしょ」
何のために僕に取引持ちかけてきたの、君。
心底呆れたように引き合いに出されるのは、つい昨日の機内での会話。
『オレに貸しを作る気はないですか?』
そう言って綱吉が切り出した、ひどく曖昧で、ひどく不安定な取引。
「別にそーゆーつもりじゃなかったんですけど…」
あはは、と。
困ったようなどこか情けない、苦笑混じりの乾いた笑い声を上げながら、それでも、ありがとうございますと返せば、ふん、と面白くもなさそうに雲雀が鼻を鳴らす。
「分かってるよ。そんなこと」
今、部屋の外、城の出口までの通路の警備は麻痺している。
そして雲雀がいて、リボーンがいない。
―――そう、リボーンがいないのだ。
「…みんな、割とオレに甘いよなー…」
「ちょっと、それって僕も入ってるの?」
「いえ、何て言うか、今回ヒバリさんは筆頭って言うかスミマセンゴメンナサイ何でもないです入ってないですっ!!」
だからお願いですからその物騒な得物をしまって下さると嬉しいかなぁとかそれそれそれそのおもむろに取り出されてるトンファーのことですよっ!!
「強いくせに弱いことばっかり言うね、君」
つまんない、と。
子供のように唇を尖らせてそんなことを言う、ため息が出そうなほどの美貌の青年に、綱吉の顔が更に思い切りよく引き攣る。
「いやオレ、全然全くこれぽっちも強くないです弱いですっ」
悲鳴のように叫び上げる綱吉を冷めた目で見つめ、雲雀の口から浅いため息。
「本当、つまんない。たまには相手してよ」
「何のですか何のっ!嫌ですよ無理ですよ俺ヒバリさんと戦闘とかそんなの!まだ死にたくないんでっ!!」
必死に言い募る綱吉にとうとう諦めたのか、すい、と雲雀の両手にあったトンファーがしまわれて、消える。
ほぅ、と安心のため息をつく綱吉に、はぁ、とこちらは呆れたようなため息をつく雲雀。
「本当、つまんない」
責めるように呟かれれば、綱吉としては訳も分からずすみませんと謝ってしまう。
それにじろりと向けられる漆黒に、更に乾いた笑いを一つ。
「あー…と…。…で、出ましょうか…」
起きられると厄介ですしねー、と。
笑いの途切れ間、変わらず冷たい視線をばかり投げかけてくる雲雀の双眸に耐えかねて、綱吉はぎこちなくそう切り出す。
実際、外の警備にだっていつ応援が来るか分からないのだ。気紛れかもしれないが、それでも雲雀のくれた好機を逃さない手はない。
「そうだね。―――そのまま、でいいの?」
ドン・ボンゴレ?と。綱吉の言葉に頷いた雲雀は、それからその格好に目を走らせてどこかからかうような口調で問う。
隙なくスーツを着こなす雲雀とは対照的に、綱吉の格好はといえばカットソーにパーカー、ジーンズの足元には履き潰したスニーカーといたってカジュアル―――むしろ、ラフと言っていい服装で。揶揄のように引き合いに出された自分の継ぐべき称号と全く馴染まない。
しかし日本から空輸した荷物に入れた衣料品なんてどれも似通ったものなので、たかが知れている。
「…ディーノさんも、滅多にスーツなんて着てないみたいですし?」
ダメ、ですかね、なんて。
自分の兄弟子であり、キャバッローネファミリーの現十代目ボスでもある男を引き合いにして、へらりと綱吉は笑って訊ねる。
「別に、君がいいならいいんじゃないの?」
どうでも、と言わんばかりに、それでも不機嫌そうでもなく自分から振っておいた話題に雲雀は肩を竦める。
そして、じゃあ行くよ、と踵を返しかけるところに。
「あ」
上がる、唐突な声。
ちょっと待ってください、と続けて言い置いて、綱吉は部屋の端に積みっ放しの日本から送ってあった日用品なんかを詰め込んだ段ボール箱を漁って。しばらくして、その手の内に探り当てられたあるものを見て、雲雀はほんの少しだけ意外そうに目を瞠る。
「すみません」
それを手に戻って、苦く笑う綱吉に、
「随分と物騒だね」
ジーンズのポケットに捻じ込むように突っ込まれた真新しい折りたたみ式のサバイバルナイフ。彼がそんなものを所有していることも意外であれば、今それを持ち出してくることも予想外で。
思わず発した台詞は、綱吉が内心雲雀にだけは言われたくないと思う類の台詞。
「何となく、なんですけど。―――まあ、護身用というか」
そんな感じです、と続けて。
それからお待たせしました、とどこか緊張した表情で笑って見せた。
* * *
ボンゴレ本部。出口までの道順なんてさらさら分かりはしないから、大人しく黒のスーツの背を必死に追いかけて。道々転がされている自分が倒しただろう黒服強面の男達を何とも思わず蹴りつけ踏みつけていく目の前の青年の代わりに、綱吉は内心で短く謝りきちんと避けて走りながらも、置いていかれることのないよう必死で足を動かす。
手加減されているだろうに、速い。速さそのものよりも、スタミナの差か。思いながら、目の前の痩身といってもいい姿を見て首を傾げたくなる。
上がる息にこの人本当に人間なのだろうかという出会って何度目になるか知れない失礼極まりない疑問を今日もまた繰り返す。
そうして廊下と階段を何度も走り抜けて。
「下りるよ」
なんて、短い一言でその辺の廊下の窓に足を掛けたかと思うと、次の瞬間には姿を見失う。
ばさ、と羽ばたくようにジャケットの裾の翻る音。
消えた黒の残像に思わず駆け寄った窓から下を覗けば、眼下に広がる夜の闇ばかりで。
今、音もなく、夜に溶け込みそうな痩身が地に降り立ったところ。
―――その高さは、どう見積もっても一階二階の高さじゃない。
本当にあの人、人間なんだろうか、と現実逃避そのままに窓の下を見下ろしていれば、何故か闇の中、早くしなよ、と言わんばかりに際立つ黒の瞳が睨み上げてきたのが分かってしまって。うう、と小さく唸りながら、ままよとばかりに地面へと飛び降りる。
今夜は先が長いのだ。こんな所でもたついているわけにはいかない。この高さから飛び降りることを、『こんな所』の一言で済ませたくない気持ちは大いにあるが。
ざっ、と。雲雀のように音もなく優雅にとはいかないが、取りあえず転ぶことも怪我をすることもなく着地して。
大きく一つ、安堵のため息。
そして、ため息をついたところで。
「夜遊びか?ボンゴレ十世」
空気を凍て付かすような、高い声。
聞き慣れた、その声に。
「あー…やっぱりそんなに甘くないよな…」
リボーン、と。
さして慌てるでもない、濃い諦め含みの綱吉の声。
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