空転する運命の歯車



 パァン!と。一見軽いような、乾いた破裂音。けれどそれは、人一人の命を容易く奪う音だ。
 日常ではあまり耳にしない、しかしそれは綱吉にとっては数年前のある日を境によくよく耳慣れ、聞き知ってしまった。
「うわっ!?」
 耳元で響いた銃声に、半ば以上条件反射で跳ね起きる。そして跳ね起きた綱吉は次の瞬間、全身を襲った強烈な痛みに身を丸めて身悶えることになる。
 ベッドから落ちたらしいと気付いたのは見慣れない絨毯とその上に見えた染み一つない真白のシーツが目に入るようになってからで、自分がいつの間にか見知らぬ場所で眠っていたらしいことに疑問を感じたのは更にしばらくしてからだ。
 落ちた際に床に打ち付けたらしい腰やら何故かじくじくと痛む腕やら膝やらに首を傾げるより先に眉を顰めながら、よろよろと床の上に起き上がれば。
「よーやく起きやがったな、ダメツナ」
 降ってきた、高い声。よく知ったその声に慌てて顔を上げれば、目の前に飛び込んでくる全く見覚えのない、ひどく豪華で荘重な調度に囲まれた広々とした一室。
 そしてすぐ目の前、恐らくは綱吉が落ちたのだろう、これもまた豪華なベッドの上に。
「リ、ボーン…!!」
 驚きと、歓喜と。
 素直に映し出した大きな飴色の瞳を見つめて、黒衣を纏った赤子は今だ薄く煙を燻らす鈍く輝きを放つ黒の銃口を掲げたままの幼い容貌に不釣合いな様子で、にぃ、とニヒルに口の端を吊り上げて見せた。



「うわー嘘だろー…ありえねー…。これ、マジで城じゃん…」
 大きくとられた窓から覗く、どこか日本とは違う鮮やかな青と燦々と差し込む黄色にさえ見える苛烈な陽光。こんもりとした森の向こうには崖が切り立ち、その濃い緑の遥か向こうには日本とは違う明るい色をした地中海の海の色がその陽光に何か宝石のように煌く。
 そんな眺めのよい窓際に置かれたアンティーク調のテーブルセットに腰掛けた綱吉は、その上に広げられた数枚の写真を眺め景色など目の端にも入らぬ風にどこか呆然と呟く。
 イタリアの地で初めて迎える朝。
 初めての空気の中で見せられた堅固な石造りの城の写真に首を傾げれば、今いる所だぞとリボーンに返されて。それだけでも驚くに値すると言うのに、テメーの目的地だぞ、などと続けられれば、もう。
「…ありえねー…」
 改めてテーブルの上にばら撒いた写真を眺めて綱吉は繰り返す。
 青空を背に、まるで歴史や美術の教科書に載っているような石造りの西洋風の古城。それがボンゴレの本部であり、綱吉が継ぐことになるドン・ボンゴレの居城だというのだから呆気に取られるしかない。
 大体、現代日本でごくごく庶民として十八年間を生きてきた綱吉にとって、この時代に個人がこの、城としか形容しようのない建造物を所有し、尚且つ住居としていると言うこと自体が信じられない。
 信じられないというか、むしろ馬鹿げていると思う。
 母さん連れてくれば喜びそうだよなあ、とひどく遠い目で思うのはまるきり現実逃避の思考で。
「おら、グダグダ抜かしてんな。もーすぐテメーの家になるんだ、すぐ見慣れるぞ」
 綱吉の正面に座ってエスプレッソコーヒーを啜る、落ち着き払ったリボーンの高い声。それに綱吉は更にテーブルに懐いて頭を抱え込みながら。
「…ムリだって…」
 はあぁ、と大きすぎるため息。
 痛みすら感じる頭の中には今朝起きて(叩き起こされて)から今まで、詰め込むように叩き込まれたこれまでのこととこれからのことと。
 イタリアに着いてすぐに受けた襲撃の首謀者と関連ファミリー。
 止めた千種や犬はあの後骸の元に戻って、髑髏と共に今はボンゴレの監視下にいること。
 髑髏は幸い命に別状はなく、現在ボンゴレの医療施設内で治療を受けていること。
 復讐者を追っていた綱吉が骸に連れ戻されたこと。
 そして戴冠式の準備や段取り、こなさねばならない儀式のこと。
「―――骸、なー…。今どこに行ってんの?凪のトコ?」
 リボーンに畳み込むように告げられた内容を反芻しながら綱吉はリボーンに訊ねる。
 全く記憶が飛んでいるが、自分はどうやら骸に連れ戻されたらしい。首を捻りながら問うてくる綱吉に、リボーンはちらりと一度、意味深げな視線を流して。
「さあな。自分の身体に戻ってんじゃねーか」
 知らねーぞ、といっそ冷たく返される。
「あー…それにしても何でオレ、復讐者に狙われてんの?何かしたか、オレ?なあ、リボーン」
 相変わらず机に懐いたまま、冷ややかなリボーンの声や視線に怯む様子もなく上目に正面の赤子を見つめる。
 出会ってから早六年、何より変わったのはこういうふてぶてしいところだな、と綱吉を見やりながらリボーンは思う。まあ、幼い頃からほぼ奈々に育てられただけあって、元々変なところで鈍いヤツであったが。
「…復讐者、か…」
 『誰を』始末しに来たんだかな、と。
 エスプレッソに口をつけながら呟いたきり沈黙するリボーンに、見上げていた綱吉は首を傾げる。
 ず、と。小さな音が、静かな空気の中に響いて。
「リボーン?」
 名を呼べば。綱吉でさえ読み切れない不可思議な深い色の大きな双眸に逆に覗き込まれ。
 わずかに、たじろぐと言うより怪訝な、どこか心配げな表情でそれを見返す綱吉に。
「ツナ」
「え?」
「テメーは、何を考えてる?」
 真剣な黒の瞳に。
 きょとりと飴色の双眸を瞬かせた綱吉は、それから少し困ったようにひどく透明に、微笑んだ。


* * *


 がこん、と。重たいような音を立てて、金属の扉が開く。
 古城の風景に似合わぬひどく現代的な、所謂ハイテクとでも表せそうな部屋の中。やけに白いその部屋で横になっていた少女は、その音に瞳を上げ、そして入ってきた人物に更にその瞳を大きく見開く。
 まろい隻眼が零れそうに大きく、心配げな相手を映し。
「…ごめんね、起こした?」
 大丈夫?凪。
 そっと首を傾げるようにして微笑む姿は、この地に来て初めて見る。
「…ボス…」
 呆然と呟いた少女の声に、どこか着慣れぬように細身のスーツを身に着けた綱吉は照れ臭そうに小さく苦笑を浮かべた。



「怪我は、大丈夫?」
 広い部屋の端の方に纏めてあった椅子の一つをベッドサイドに引き摺ってきた綱吉は、真っ先に、心配げな光を飴色の瞳いっぱいに浮かべて首を傾げる。
 視線の先は、白の病衣に包まれている薄い肩。
 普段は堅く分厚い布地の衣服を身に着けているため隠されている肩や腕、腰の辺りの薄い頼りなさがひどく引き立つようで。
 痛々しい、ともいえそうな、その風情。
 その肩に被弾したことを知っているから、特に。
「大丈夫。骸様が、出血を抑えてくれてたんだろう、って。その後も、ボンゴレの医療班の人がきちんと手当てしてくれたから、って」
 ありがとう、ボス。
 告げられた方がたじろぎそうなほどに真摯に告げられる謝辞と、ボスが頼んでくれたんでしょう?と見つめてくる真っ直ぐな視線。
 それに、まぁ、と曖昧に頷いて。
「…でも、実際に指示出したりしたのは、リボーンとかヒバリさんだから」
 オレは、ずっとぶっ倒れてたし。
 軽く小首を傾げるように、ひどく情けないように告げる。
 淡い笑みは酷く苦くて、けれどどこか懐かしい。
 そういえば、見慣れた少年の表情はいつからか徐々に、その見慣れた部分が削ぎ落とされるように消えていってはいなかったかと、今更のように髑髏は、気付く。
 それは、沢田綱吉としての顔、ではなかったろうか。
「……ボス?」
「なに?どうかした?凪」
 ゆるりと、傾げる首の動きに合わせて、飴色の瞳が鮮やかな琥珀がかる。
 綺麗で、綺麗で。
 けれどそれは、あまさの失せた。
「……私、ずっと、ボスとしか呼べない、わ」
 唐突に。
 告げるのは、ふと過(よぎ)るいつかの台詞に応じる答え。
 オレは、骸じゃないよ、と。告げた言葉の意味を、なぜか今、はっきりと悟る。
 あの日、あの時。綱吉ははっきりと、予防線を張っていたのだろう。
 どこかで綱吉に救いを見つけようとしていた髑髏に。
 自分は誰も、救いはしない、と。
 骸のように、救いはしない、と。
 それ、でも。
「―――それでも、渡さなくては駄目?」
 それでも確かに、髑髏にとっては救いなのだ。
 綱吉、も。
 普段から感情の色を見せない、訥々とした喋り口の少女の声が、どこか泣きそうに潤む。
 それが分かっていても、綱吉は曖昧な苦笑のまま、首を横に振ることなどできはしないのだ。





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