空転する運命の歯車



 人けのない街の中には、ただ足音だけが響く。軽い足音と、一人分の息遣い。
 ―――どうして分かるのだろう?
 飛行機の着陸した郊外の道を走り抜け、今は一面石畳の、入り組んだ石造りの古めかしい街中を駆け抜けながら綱吉は思う。
 辺りは暗く、街灯の数も少ない。ただ星明りと自らが灯す炎に、白い石畳や建物の壁が反射して視界が確保出来ないほどでもない。辛うじて、転ばない程度には。
 そんな中、空気の匂いも肌触りさえも全く馴染みない見知らぬ異国の土の上で、けれど地面を蹴る綱吉の足は迷いなく進んでいく。
 進むべき方向、曲がるべき辻。
 闇雲としか言いようのない思いつきのままの足運びで、それでも入り組んだ街中で一度も行き止まることなく。
 もう少し、と。
 足を動かすのと同種の確信が、目指すものが近付いていることを教えてくる。
 走り始めて、何十分経ったのだろうか。
 リボーンのスパルタ教育と死ぬ気状態のおかげで、ほとんど息一つ乱すことなく走り通した先。
 ようやくに、捜し人達の背中。
「―――見つけた」
 静かに。
 気配を殺した声が、綱吉の口の中で呟かれた次の瞬間。
 伸ばされた綱吉の手から炎は消えて、代わりに手のひらに掴む二人分の人の熱。
「犬さん、千種さん…っ!!」
 掴まれた腕にか、呼ばれた名にか。駆けていた二人分の背が、驚きに弾かれたように振り返って。
「ゲッ!!」
「…ボンゴレ…!?」
 振り向いたとき以上の驚きを見せる、二人のその顔に。
「やっと、追いついた…」
 はあ、と。綱吉の腕に力尽くで引き止められたまま弾んだ息で立ち止まり振り返って綱吉を見下ろす二人の青年に、当の本人は安堵のように情けなく大きな息を吐いて。
「すみませんが、戻ってもらいます。追跡は、中止です」
 どこか呆然としたままの二人を見つめながらの、綱吉の台詞。
 その二人の間、夜の向こうに目を移せば、古めかしいくろのマントとシリンドゥロ(トップハット)、そして何より顔を初めとした肌という肌を覆いつくす白の包帯が目を引く、異相の人影。
 ―――復讐者。
 目にしたのは、一度限り。
 けれどそれは、忘れようのない。
 闇に沈みそうな姿はけれど沈まず、まるでこちらを誘うような。
 どうして、と。
 頭の片隅を掠める疑問。
 しかしその疑問はすぐに考える余裕を失くす。
「触んなっつーの!放せっ!!」
「うわ、ぁ!?」
 思い切り腕を振り払う力に、綱吉は思わずよろける。反対側では無言のまま、千種ももがくように腕を動かすので、思わず指が外れそうになってしまう。
 それを必死に堪えながら、綱吉は何とか言葉を紡ぐ。
「ま、ってくださ、い…っ!!オレっ、捕まえにきたわけ、じゃな、くて…っ、止めに来ただけ…っ」
 力を込めながらのせいで切れ切れになる綱吉の言葉に、犬と千種は更にきつく相手を睨み据えて。
「お前に言われる筋合いねーびょん!!」
「俺達は、お前の部下じゃない…!」
 きつい視線に、一瞬怯みかける。
 泳ぎかけた視線の先、未だ気配の消えないままの復讐者の姿。明らかに誘う、ような。
「―――…オレは、骸の代理です。止めようとしているのは、骸です」
 そちらを見据えながら、綱吉は慎重に言葉を選ぶ。ゆっくりと、噛み締めるような静かな声。
 それに、千種と犬の動きが同時にぴたりと止まって。
「骸―――凪、が怪我をして動ける状態じゃなかったから。だからオレが、代わりに来ました」
 繰り返す。畳み掛けるでなく続ける言葉に、千種と犬の瞳に浮かぶ、複雑な葛藤の色。不安と猜疑と、反発。交じり合う色を全て押さえつけるのは、骸への忠誠。
 それでも、否、それゆえに迷うのは、恐らく綱吉の言葉の真偽を、見定めかねて。
 骸が―――凪が、撃たれているところは見ていただろうから。そして骸が、綱吉に後を託すとは思えない、から。
 口を閉ざして黙り込む二人に。
「戻って、下さい。骸と、―――凪のために」
「いま起きたら、凪は一人きりだから」
 だから骸は、動けない、と。
 掴む手のひらに力を込めて、綱吉は言い募る。
 骸の命令に二人が逆らえないことを知っていて。
 髑髏のことを、骸に任されているだろうことを分かっていて。
 ―――彼らの中に芽生え育ち始めている、情、にも似た想いを感じてもいたから。
 そして。
 遠くを見るようにもう消えかける気配の先を夜の向こうに透かし見て。
「―――あとはオレが、引き受けます」
 復讐者。
 何故、という思いは強いけれど。
 同じ強さで、願ったりだと思いながら。


* * *


 誘われていたのは果たして誰、だったのか。
 千種、犬、凪、―――或いは、骸。
 ―――或いは―――。
 或いは、綱吉、だったのか。
 闇の中、先の見えない鬼ごっこ。
 逃げる振りで手を鳴らすような、隠れる気配の欠片もない獲物を琥珀の瞳で追いながら、幼さの抜け落ちた相貌が、す、と鋭さを増す。
 果たして鬼は、どちら―――。



 あれから何分、経ったのか。あの二人は無事、骸らに合流できたのか。
 千種と犬を何とか骸―――凪の元に戻らせて、まだ微かに残っていた気配を辿り始めて、大分経つ頃。速さこそそれほどではないが、一時間近く走り回っている気がする。まるで何かを振り切るように複雑に道筋を変えながら、それでも闇夜に気配を紛らすことはなく。
 走りながら口の中で、ヤバイなぁと小さく呟く。
 元々方向感覚のそれほどよくはない綱吉にとって、全く土地勘のない異国の地でこれほど走り回らされれば、はっきり言って元いた場所に戻れる気がしない。完全に迷子だ。しかも、土地の言葉であるイタリア語などほとんど全く操れないとなれば、更に致命的。
 それが狙いかとも思うが、しかし何とかなるか、という思いも強い。
 投げやりともいえる思考だ。けれどそれは、ある種、懐かしさすら感じる。
 自分で思いながら、それでも走り続ける足は止めない。
 走り続け、走り続けて。
 そして。
「…っ!?」
 くらり、と。強く襲いかかる眩暈。頭の芯が痛みではない気持ち悪さで、ぐわん、と傾ぐ。
 重いような、軽いような。
 耳鳴りのような、不安定な揺らぎ。
 突然に襲いくるその眩暈に、走る足を縺れさせた綱吉は歴史を重ねた石畳の上派手に転ぶ。
 膝と肘に、強い痛み。
 熱。
「…っあぁ、……!?」
 立ち上がろうとして、叶わない。
 視界が歪み、痛みが遠退く。
 否。遠退くのは痛みでなく、意識。
 薄れいく意識と痛みの中、首の付け根辺りだけが、ちり、と鋭く痛みを訴えて。
 霞む視界に最後まで、映るのは追ってきた復讐者達の黒の背中。



 地に伏せっていた細い身体が起き上がる。
 古ぼけた、夜の石畳の上。潮風に吹き晒され長い年月を超えてぼろぼろに風化した石畳の表面は、布越しにもごつごつとした感触を伝えて、起き上がるためについた手のひらには赤くでこぼこと痛そうな痕がつく。
 星明りの下、ふと目についたそのあまり大きくもない手を数秒だけしげしげと眺める。遠い白人の血のせいか地の色が元々白く、そしてあまり日に焼けていない肌は彼の故国の日本では十分に白く見えていたが、今あるイタリアという国にあっては民族としての黄色がかった色合いは有色人種(カラード)として目に付くだろう。
 ジャッポーネ。
 黄色の猿。
 聖書にはない民族は、キリスト教総本山の膝元にあるこの国にあってはきっと受け容れ難いものがあるだろう。
 白人優位の思想を持つ、この地域では、特に。
 手のひらを見つめて小さく失笑を零し、下ろした手で起き上がった衣服の前、転んだ際に付いた砂埃を音を立てて叩いて払う。それから上げた面で周囲を見回して。
「…全く…よくこんな所まで…」
 夜のしじまに響く、低くもない男声。
 見回す視界には、日本人の感覚から見ればまるで古代の遺跡のような石造りの街並みが続き、一面単色の石畳が敷き詰められている。 遠く見える道の行き止まりに、広がる白い広場。
 遠くもない波音が静かに満ちて、潮の香りが風に乗って強く弱く夜に香る。
 光の少ない海沿いの道は夜闇に沈んでひどく暗い。
 イタリアの苛烈な陽光の下に見れば鮮やかに明るいエメラルドグリーンをしているだろう地中海の青も、夜の中では静かな波を湛えた不安を誘う黒さでしかなくて。
 パレルモ郊外から車を走らせても恐らくは三十分以上かかるだろう片田舎の海辺の町。
 復讐者の跡を追ってきた綱吉が辿りついた町。
 ―――初代ボンゴレの、生地。
 乱れて目元にかかる薄茶の額髪を掻き上げて顕わになった、男性にしては大きい双眸。
「まるでエディプス・コンプレックスですねぇ…」
 どこまで『マフィア』に―――ボンゴレに、執着するのか。
 顕わになった右眼を闇の中、鈍く紅に光らせながら少年は、淡く自嘲の笑みを浮かべて、夜の先、消えていった黒のコートの背をじっと見つめた。





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