空転する運命の歯車
「むくろっ!骸、だよな…っ!?」
倒れこんだ少女の身体。
くず折れるようにその傍らに膝をついて、綱吉は泣きそうに問いかける。触れようと伸ばした手を躊躇い、それから分厚い服地に滲み始めた赤に更に表情を歪ませ。
「…全く、」
その表情に、少女は瞳を伏せたまま呆れに満ちたため息を一つ。
それは決して、少女本人はしないだろう所作。
続けられようとした言葉を聞こうと身を屈めてきた綱吉の肩を、傷のある腕で無理矢理に引き寄せ、蹲(うずくま)るようだった体勢からわざとバランスを崩すようにして一気に倒れこむ。当然、肩を掴まれた状態の綱吉も一緒に。
そして突然の出来事に声を上げることもできず少女の肉体の上に倒れこむ形となった綱吉の耳元で、流れる風圧と、きぅん、とも、きん、ともつかない高く鋭い金属音。
え、と首を回せば、視界を横切る長槍の柄。
空気の流れの残滓と残像を残すそれが、弾いたのは銃弾か、ボウガンか。
「どこまで甘いんですか、君は」
紛れもない、少女の声。
それなのに、耳に届くその響きは。
「…骸…」
今更のように呆然と呟く綱吉に、戦闘中でしょう、と険のある少女の声が続ける。
その声に慌てて跳ね起きた綱吉の背後に、影。
「もう終わったけどね」
人の気配に、一瞬強まるような血と火薬の臭い。低く硬質なテノール。艶のある綺麗な声に振り向けば、血の一つも浴びることなくトンファーを手にした黒ずくめの青年。
「ヒバリさん…」
放心したようにその名を呼ぶ綱吉を見ることなく、その鋭い瞳が真っ直ぐに射るのは。
「君の部下に散々邪魔されたんだけど」
ねぇ、なんて。横たわる少女を気遣う様子を欠片も見せることなく冷えた声音が少女姿の骸にそう言い切る。
驚いた綱吉が見れば、雲雀の向こうには正しく死屍累々としか形容しようのない光景が広がっていて。
折り重なる、黒と肌色と赤。
立ち込める血臭が、暗さで見えることないその光景を伝えてくるよう。
「―――おや、二人はどこへ?」
綱吉と同じく、こちらは地面に横たわったまま周囲を見やった骸は、しかし綱吉と異なったところに疑問を感じたらしい。暗に潜ませた雲雀の非難などどこ吹く風で見下ろしてくる漆黒の瞳に問う。
「あの二人なら、君を撃った奴等を追いかけて行ったよ。―――ほら、あっち」
まあ、撒かれるのがオチだろうね。
肩越しに振り返り、顎で示されるのは闇の奥。星明りにほんのわずか、何か動くような動かないような影が、ちらついているようにも見える。
「…全く…」
撒かれる程度で済めばいいんですけどねぇ…。
はあ、と。呆れたような疲れたようなため息。
甘い少女の声に似つかわしくない。
「ちょ、骸?」
遠くに見える動く影―――恐らくは犬と千種なのだろうその人影を眺めていた綱吉は、骸の声に視線を移してから、ぎょっとしたように目を見開く。
「おい、やめろってば!う、撃たれてるんだぞっ!?」
撃たれた側の肩や腕を庇うように起き上がる少女の姿に、綱吉は慌てたように手を伸ばす。
つい先ほどまで地面に倒れて、血まで流していた少女。今だって、いっそ先より速いスピードでその肩口の血の染みは広がっている。
分厚そうなジャケットの、その肩に。
「おい!」
一際声を荒げて、躊躇していた綱吉の手が留めるように少女に触れる。
恐々と、それでも止めようとする力を持った強さ。
動きを止めてその手を一瞥した骸は、振り払えなかったのか振り払わなかったのか、その手をそのままに、まろい瞳を綱吉へと向けて。
「―――痛みは感じない、と僕は以前にも君に言った気がしますが」
温度のない視線。何の感情も映さない瞳が無感動に綱吉を見遣って言うのに、
「凪、は感じるだろ…っ!?大体、ずっと調子悪そうだったのに、無理させるなよ!!」
泣きそうに痛むように眉根を寄せて、綱吉は絞り出すように叫ぶ。
思い出す、紙のような顔色をした少女。腕の中に倒れこんできた軽い肢体。
あれはそれほど前のことではなくて。
睨み据えるように、頑として譲らない飴色の瞳。それを相変わらず感情の抜け落ちた黒の瞳が見据えて、それから形だけ、目と唇とが笑み歪み。
「君には関係ない」
静かな声。
響きの甘さすら耳を素通りしてしまうように、冷えて硬い。
その声に、言葉に、綱吉の頬にかっと血の色が昇る。一際強くなる飴色は、いっそ琥珀がかって。
「関係なくなんかない…っ!お前だって、凪だって、オレの仲間だってことに変わりないんだから…っ!!」
「くだらない。僕たちまで君のあまったるい『仲間』とやらに括らないで欲しいですね」
吐き棄てるように、少女の声。
綱吉を映す瞳の奥に、憎悪と嫌悪とが複雑に絡み合う。どろりとした、有機的な色。
「言ったはずだ。マフィアに組するなんて冗談じゃない」
それでも骸は、あまやかな面に笑みを刷いて。
それはいつか、同じ声で聞いた言葉。
同じ響きと同じ温度で聞いた。
聞いたはずの言葉、なのに。
「じゃあ、どうしてあの時…っ!」
言葉が溢れ出す。
夏の終わりの夕陽の中、笑って言えたはずの言葉は思いもつかず、ただ激情のように想いが喉から唇へと溢れ出す。
いいよ、と。
ありがとう、と。
言えたはずの、言葉の、代わり。
どうして、と。
それは聞いてはいけない問い。
思うことすらきっと、許されない。
自分の声に我に返り、言葉を止めて息を呑む。
目の前に、怪訝な色をしたまろい線の黒の瞳。夜を映した水面のような。
その色に、脳裏に蘇る光景の懐かしさと痛さに、泣きそうになりながら溢れ出しそうな言葉ごときつく奥歯を噛み締めて、唇を引き結ぶ。
伏せた瞳に、澄んだ闇。
夜の水面。
灯の火。
流れる光だけが照らす夜は、泣き叫びたいほどに静かで。
静かで。
まるで生きる者のない世界のよう、で。
頭に頬に膝の上に、蘇るのは降り注ぐ花弁の重み。
果敢無いまでの、その軽さ。
その重さだけが、今の『彼』の存在証明。
「―――オレが、行きます」
伏せて上げた瞳の中に、もう激情は息を潜めて。
その瞳に真っ向から向き合う黒の隻眼には、怪訝の色。
「オレが千種さんたちを追います。追いかけて、連れ戻します」
「―――君にはできない」
即断で返される声に、けれど綱吉の眼も表情も揺らぐことはなく。
「できます。―――やります」
告げる声は、いっそ厳かに。
誓いのように、重く響く。
呑まれたように固まる相手に背を向けて、立ち上がった綱吉は歩き出す。
と。
「―――分かるの?」
二人の居場所、と。
擦れ違い様かけられた、その声に。
ふ、と瞳の琥珀が鮮やかに閃く。
「分かります。―――あと、お願いします」
ヒバリさん。
呟くように告げた言葉に、皮肉交じりの笑み声で、生意気、と返されたのを背中に聞いて。
夜に、駆け出す。
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