空転する運命の歯車
時間は少し遡る。
ローマに着いた千種と犬、そして髑髏が、パレルモ行きの鉄道に乗っている頃。
もうすぐ終着点という頃、真っ先に異変に気付いたのは、千種。
「―――クローム?」
座席も何もない、床板だけの三等車両。荷物に紛れるようにして三人固まって、何を話すわけでもなく汽車に揺られていたのだが、どうにも髑髏の様子がおかしくて。
毛布ごと折り畳んだ両膝を両腕で抱え込んで、立てた膝の上に頭を預ける。そのまま伏せた瞳で眠るようにじっと動かない様子は、飛行機の中でも彼女がずっととっていた姿勢。
けれど、どうしようもなく付き纏う違和感。
何より彼女は、動かなすぎるのだ。それは、生理的な動作すら含めて。
「クローム」
もう一度、今度は先程よりも強い調子で千種は少女の名前を呼ぶ。けれどやはり、起きる気配どころか動く気配すらなくて。
慌てて手を伸ばし、向かい合う小さな身体を軽く揺する。
手に触れる細い肩は、やわく、温か。
温か、だけれど。
「んあ?柿ピー、どーしたびょん?」
狭い空間で突然動き出した千種に、うつらうつらとしていたらしい犬はその段になってようやく顔を上げる。
しかし、当の千種は気付かぬげに。
否、まるでそれどころではなく。
「クロームっ」
強い声。小さな身体を揺さぶる、強い力。―――けれどその身体は、何の反応も見せることはなくて。
「その女、どーしたんらびょん…?」
「…分からない。だけど汽車に乗ってからずっと、目覚めないどころか動きもしない」
今も。
髑髏の肩を揺する手を止めながら続ければ。
「おいっ!ドクロっ!!」
厳しい顔をした犬が、彼らしくなく手加減した力で髑髏の頬を叩き。それでも身じろぎ一つしない少女に、とうとう二人は顔を見合わせる。
千種が見た限り、体温も脈拍も正常。
なのに、その意識だけは戻らない。
『きちんと見ていてあげてくださいね』
『クロームの様子に、気をつけとけ』
耳の奥に蘇る、二つの声。
一方は、骸の去り際に。
もう一方は、リボーンの去り際に。
言葉は違えど残された言葉は共に指し示す状況は、同じで。
さして気に留めてもいなかった言葉に、このことか、という今更の得心と。この緊急事態に、どうすれば、という焦燥。
二つの思考が千種の脳内で空回る。
こんな時に骸がいれば、と埒も明かない感傷めいた強い気球が、胸を過(よぎ)る。
らしくない。
「―――っ。取り、あえず。一旦、態勢を整えなきゃならない。…担いで、降りよう。もうじき、パレルモに着く」
何とかそれだけ、発した千種の声に。
「必要ありませんよ」
柔らかなソプラノ。
けれど応じる、その言葉の持つ響き、は。
弾かれたように顔を上げ、呆然と二対の瞳が見つめる中、今までどんなにしても身じろぎ一つしなかった少女の顔は少し眩しげにゆっくりと起こされて。
「―――全く。何でこんな所にいるんですか、あなた達は」
あのアルコバレーノは、何してるんですかねえ。
目覚める、少女のあまやかな貌。
皮肉に開いた隻眼、その眼帯に隠された方の奥の瞳の色が深紅であると確信させる。
「謀られましたかねぇ…」
高く組んだ足に肘をつき、細い顎を支える。支えた手指で厚めの唇をなぞりながら、まろいあまやかな瞳を眇めて呟く少女の声が、皮肉。甘いソプラノに馴染みきらない毒の強い声が、崩れかけの廃屋の中に静かに響く。
怒るでもないその様子。
優雅ともいえる所作の前に、けれど千種も犬もぎこちなく立ち尽くし、身を強張らせたままで。まるで親か教師かに叱られるのを待つ子供の、ような。萎縮しきった二人の様子に、骸は小さく苦笑を洩らす。
「別に怒ってないですから、楽にしたらどうですか?」
そう言って、骸は少女の声でため息のような笑声を零すが、目の前に立つ二人は一向に身体の力を抜く気配はなくて。
別に、本当に彼らに対して怒ることなどないというのに。
こうなることは予測できていたし、だからこそ先手を打ってリボーンに取引を持ちかけたのだ。呪うとすれば自分の迂闊さとリボーンの抜け目なさくらいで。
―――道理でやけに、念を押して来ると思えば。
澄んだ黒色の隻眼を睨むようにほんのわずか眇め、思い出すのはつい先日のリボーンとの会話。やけに骸の出した条件に拘ってくると思えば、何のことはない、言質を取られていたのだ。
読み負けたというのも馬鹿馬鹿しい。
単純な言葉遊び。
『国外へ、出さなければいいんだな?』
耳の奥に蘇る、これは取引の時、綱吉の肉体の裡で聞いたリボーンの声。
どこから、ではなく、国外へ、とだけ告げた骸に念を押してくれた。
『最短で明日中ってところだろうな』
これはボンゴレの監視を求めた時の、リボーンの返答。それにあの時、自分は是と応じたのだ。
それまでの監視と責任の所在を、明確に自分にあると示して。
『ボンゴレの監視が、明日、一両日中につく』
『そして骸との取引で、ボンゴレの監視下でお前等を国外に出すことは一切できない』
『意気がんなよ、今の状態で勝機どころか出し抜くことすらできると思うな』
これは、髑髏の記憶。リボーンが、黒曜の地に骸の意向を―――否、『言葉』を伝えに行った時、の。
そう、意向ではなく言葉だ。
あれは骸の言葉で騙られた、リボーンの意向。
リボーンがわざわざ出向いて三人に伝えたのは、間違いなくそれだろう。そこにある真意は未だ読み切れないけれど、少なくとも骸のそれとは、そして綱吉のそれとも、重ならない。
選んだ方法、そこに含まれる想い、その事実を知るか知らないかの差はあれ、骸と綱吉は、髑髏を―――凪、を守ることを何より優先していたのだから。
そこに共闘などは一切なかったけれど。
しかし今にして思えば、どれほど自分が切羽詰っていたのかという話だ。
―――否。
焦燥、というなら今もさして変わりなく。恐らくは、あの頃よりも状況は悪い。
だから多分、単純に自分のありようの問題だろう。
眼帯の奥、じくりと空洞が疼くように脈打つ。
もう少し。
あと、少しで。
逸るというには薄暗い胸の奥で、ひそりと骸は想う。
瞬きに紛れて一度小さく瞑目し、それから再びまろい隻眼を顕わにして。
「さて、千種、犬。ボンゴレの下に向かいましょうか」
にこやかに笑んで見せた少女の顔に。
二人の青年は複雑な色を双眸に浮かべたまま、それでも何も聞かずに頭を垂れた。
* * *
走り出す。
あと、数歩。
現状でなくとも少女の肉体では十分なスキルの行使もできないし、膂力も脚力も、そしてストライドでさえ随分と落ちる。
それでも気付かぬうちに足は動き。
守るべきはずの少女の肉体だと分かっていながら、走らずにはおれず。
耳の奥、切羽詰ったように彼を呼ぶ漆黒の青年の声。
どこか、遠い。
それを遠い意識で聞きながら。
飛び出す。
振り返った彼の目の前、その視界を遮るように。
突然に現れた少女に銃火器を構えて呆然と立ち尽くすスーツ姿の男達。
その向こう、古風な仕立てのマントとシリンドゥロ(トップハット)、一部も肌を晒すことなく包帯で覆った異様な集団に違えることなく真っ直ぐに向けられたまろい蠱惑の瞳には、驚愕でも怨嗟でも憎悪でも憤怒でもなく、ただひたすらに嘲りも顕わな冷めた愉悦が浮かべられていて。
「むくろっ!!」
響く、声。
その名。
―――自分と彼とが、消してしまった、はずの。
(ああ、なのに)
(どうして、嬉しい、などと、)
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