空転する運命の歯車
「シートベルト締めて。もうすぐ、着くよ」
着陸するよ、と。告げる声音は淡々と、いつも通りの平坦な響き。
その言葉に綱吉はごくりと唾を呑み込む。
「―――どこに下りるんですか?」
少しだけ震えそうに強張った声で、綱吉は目の前に座る雲雀に訊ねる。
いつも通りの、それこそ並盛で学校にいる時とすら変わらない、雲雀の姿。その姿に綱吉の緊張 は却って否応にも煽られる。
「パレルモ郊外。ボンゴレ本部に直に着陸するつもりだったんだけど、予定変更。―――ちょっと本部の様子がおかしいんでね」
「…おかしい…?」
「そう、四、五時間前から連絡が取れない。まあ、予測はできてはいたけど」
目的地は変えようがないからね。
焦りも苛立ちもない冷静な声が暗に匂わせるのは待ち伏せの可能性。それに気付いた綱吉の顔が更に緊張に強張るのを気付かぬ振りで雲雀が続ける。
「別に直接行ってもいいんだけど。生憎この飛行機ほとんど戦闘用の装備ないし」
「そ、そうですか…」
『ほとんど』、という部分に引っ掛かりを覚えないではないが、綱吉は敢えて深く突っ込まずただ胸を撫で下ろすに留める。
戦闘機じゃないらしくて本当によかった。
もしミサイル積んであるよとか笑顔で言われたら、所有者が所有者なだけに冗談にすら聞こえなくて笑うに笑えない。
「着陸は、一応本部じゃないにしてもボンゴレの所有地の一つだから、覚悟はしておいた方がいいかもね」
本部の方は、僕等が着く頃には片が付いてるだろうけど。
唇を吊り上げて言われる言葉に、再度、綱吉の喉が鳴り。
着陸態勢に入ります、と操縦席から響く声。
その声に、目の前に座る雲雀が一層鮮やかに笑みを閃かせて。
「楽しみだね」
「…全っ然、楽しくないですよ…」
セスナが着地したのは、だだっ広い荒地のような場所。
タラップを下りた先の地面にほっと息を吐く。足の下に、紛うことなき固い地面。空の旅もなかなかに快適だったが、やはり地に足を着けている今の安堵とは比べようもない。
辺りはもう、夜の暗さ。周囲に街灯などは窺えず、セスナの灯す強い明かりの届く範囲は視界に苦労しないが、そこから外れる部分は却って闇を増してさえいる。
空は暗くて、星が多い。東京の空と散りばめられている星座の形が違うのかなんて分からないけれど、闇に輝くその光点の量の差は歴然だ。
目を伏せれば、遠く微かな波の音。
異国を思わせるものは、吸い込む空気の匂いともいうべきものくらい。
それだけが、けれどそれこそが、鮮やかに日本との違いを伝えていて―――。
「遅い」
不意に感じた違和感に慌てて目を開けた綱吉が眼球だけで周囲を窺えば、間髪入れずに飛んでくる雲雀の声。綺麗なテノールの平坦な叱責に返す言葉もなく、ただ、すみません、とだけ謝って綱吉は制服のズボンのポケットに突っ込んであった毛糸の手袋を引っ張り出す。
季節外れで場違いな、けれどそれは紛れもなく綱吉の武器だ。
その妙に緊張感のないミトンを両手にはめて、改めて周囲を窺う。
ピリピリと、緊張感を孕んで空気を震わす気配は余りにもあからさまで、こちらを狙うらしい相手の力量の程度も知れるというものだが、しかし。
「…あのー、ヒバリさん?」
「何?」
返される言葉の不機嫌さに、綱吉の肩がびくつく。
しかし気付いてしまった事実に、どうしても口を開いて確かめずにはいられない。
「……すみません、あの、これ、明らかに囲まれてます、よ…ね…?」
探った辺りの気配。二十や三十ではきかないだろうその尋常ではない人数に口の端を引き攣らせながら小声で問えば、
「本当に、どの国でも、弱い奴等は群れてばっかりだよね…」
そんなに咬み殺されたいのかな、と。低い声に混じる愉悦。
戦闘への喜悦に満ちた笑みと、鮮やかな狂気じみた殺気に、顔中を引き攣らせる綱吉は、あはは、と乾いた笑みを浮かべるのが精一杯だ。
そんな綱吉の様子を雲雀は流した横目で軽く捉えて、
「ねえ、それ。火を出さずにどれくらい闘える?」
それ、と示されるのは、綱吉の両手にはめられた手袋。
問われた言葉の意図が分からず首を傾がせた綱吉だったが、とりあえず正直に答えてみる。
「大して、っていうかほとんど保たないと思います。普通の状態で闘ったことなんてロクにないですし、リボーンもそんなこと教えてくれてないし」
大体オレ、未だに拳銃すら撃てないですよ、ここまできといて。
綱吉が苦笑交じりに答えればその言葉に何か思い巡らせるように数瞬沈黙した雲雀は、しばらくして、まあいいか、と小さく呟く。
そしてそれに、なに、と綱吉が聞き返すより、先。綱吉に向き直るでもなく繊細な線の端正な横顔を見せたまま、雲雀はひどく鮮やかに笑って見せて。
「せいぜい宣伝しときなよ、ボンゴレ十世」
初めて呼ばれる呼称には、棘こそないが多分に含まれる、皮肉の色。
それに何と返していいのかも分からずに眉根を寄せて渋い顔をする綱吉に、雲雀はもう一度、今度は面白げに笑ってみせて。
「―――邪魔したら、咬み殺す」
構えられるトンファー。
狂気じみた熱を孕む、低い響き。
それは紛れもなく、戦闘への喜悦の色。
「分かってます」
静かに告げて、手袋の手でポケットの中の瓶から一粒の丸薬を取り出す。
死ぬ気丸。
もう数年も昔、バジルから譲り受けたそれは、リボーンの死ぬ気弾がなくとも―――つまりは、リボーンがいなくとも死ぬ気状態になることが可能なアイテム。
きつく目を伏せ口に含んで飲み込めば、一瞬後には体中の血液が凍え沸騰するような、奇妙な感覚が走り抜け。
頭の芯が、ひどく冷える。
まるで、自分でないもののように。
目を開く。
鮮やかな琥珀が、周囲の闇を鋭く睨む。
音もなく駆け出した雲雀の背を追って、額と両手に炎を灯した綱吉は、静か過ぎる琥珀の眸で真っ直ぐ前を見据えて、駆け出した。
戦況は、あまりに一方的であった。
接近戦は言うに及ばず、銃火器や飛び道具の類も、或いは二人に避けられ、或いは綱吉の炎で焼き払われ、或いは雲雀のトンファーで弾き飛ばされる。そしてそれだけの動きをこなし、尚且つ然程連携などをしているようにも見えないのに、当の二人には隙がない。
雲雀などからしてみればため息どころか、噴飯ものの弱さであったが、いかんせん数が多い。人間も武器も尽きることがないようにどこからともなく現れ、二人に群がってくる。
ある程度散らしたら振り切るつもりであったがそれすら叶わず。
大体において、そもそも雲雀も綱吉もその武器の特性ゆえ近付かなければ相手を倒せないため、どうしてもタイム・ロスができるのだ。
そしてそのタイム・ロスが新たな敵を呼び寄せる。
二人にとって、それは完全な悪循環だ。
焦燥と苛立ちと抱えながら、それでも雲雀はトンファーを、綱吉は炎を操り、振るう。
振るい続ける、けれど。
―――けれどそこに、確かに油断が生まれる。
次々と手応えのない敵を薙ぎ倒していく中。
それ、に先に気付いたのは、雲雀で。
一瞬だけ膨らむ、貫くような殺気。
それは周囲を囲む明らかな雑魚の発し得るようなものではなく。
今までその気に紛れて機を窺っていたかのような。
「っ、草食動物っ」
振り返りざま、鋭い声が呼び捨てる。
え、と。
その声に綱吉が意識を切り替える頃には少し、遅い。
向けられる気配に気付く、けれど。
少し、足りない。
間に、合わない。
目を閉じることもできずに、けれどどこか呆然とした意識が死を覚悟する、中。
視界を横切る、何か=B
朱が散る。
鮮やかな。
三叉槍を構えることすらできず、幼い少女の体が宙を舞う。
闇の中。
宙を舞う、青みの強い漆黒の髪。
見えたのは、小さな背中。
背中、だけ。
なのに。
口を衝いた、名は。
「むくろっ!!」
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