どこから間違えてしまったんだろうね
「おはよう。獄寺くん、山本」
教室に入ってすぐ見つけた友人二人に挨拶すれば、驚いたような不思議そうな、ひどく無防備な表情を向けられて。なに?と訊けば、目を見交わすようにして口篭る二人の様子に、綱吉はその時になって漸く、ああ、と合点がいく。
「リボーンに聞いた?」
「あ、ああ」
「はい…。あの、昨日…」
「ええー…。昨日ってオレより先じゃん…オレなんて今朝だよ…」
ったく、アイツ…。
唇を尖らせる綱吉に、どう反応すべきかと獄寺と山本は悩む。
まず第一に、綱吉があまりにあっさりと、あっけらかんとしているのだ、今朝聞いたと言うにしては。
「ツナ…?」
気遣わしいような、困惑げなような、山本の声。
「大丈夫、だよ?オレが望んだんだ。ワガママを言ったのはオレだよ」
にこり、と。
穏やかなような、諦めのような、それとも達観のような。
その、ひどく疲れて、でも優しげなその表情と。ほんの少し、相手にだけ分かるように流された申し訳ないような目配せに。一度、目を瞠って、それからひどく痛々しげに形良い眉を顰めて。
―――その日初めて山本は、笑う綱吉に笑み返せなかった。
* * *
「じゃあね。獄寺くん、山本」
昼休み。
そう言って笑って、綱吉は手を振って。
* * *
「遅い」
「…すみません。四限目の先生にちょっと捉まっちゃって…」
鞄を抱えて息を弾ませる綱吉に、雲雀の不機嫌な視線が突き刺さる。
「馬鹿じゃないの。君、最後まで何やってるの」
視線は、冷たい。
それに空笑いを返しながら、すみません、ともう一度繰り返せば、もういいよ、とため息を返されて。差し伸べられた手に、首を傾げる。
「ヒバリさん?」
「鞄」
「は?」
投げかけられた単語に更に深く首を傾げれば、苛立たしげな眼差しと共に再度口が開かれて、
「鞄、邪魔でしょ。それ」
指差されるのは、肩に引っ掛けている通学鞄。
「へ?何でですか?」
そんなに邪魔になるものにだろうか、鞄は。
大体、今日の鞄にはパスポートやらお金やら貴重品の類が詰め込まれてあるのだ。
「それ持ってイタリア行くつもり?というか、それ持って後ろ乗れるの、君」
あれの、と。
肩越しに顎で示されるのは。
「―――…あれ、で、行くんですか…?」
す、と顔から血の気が引くのが自分で分かる。
雲雀が尖った顎先で指し示して見せた先にあるのは、大きなバイク。七五〇cc(ナナハン)とか、そういう、所謂、大型と呼ばれる類の、二人乗りできる。
「あれ、で行くんだよ。車は小回りきかないし」
大丈夫だよ、僕は安全運転だから。
車以上の小回りを求めるらしいのに(大体普通に公道を走るのにそんな小回りを求める必要ないんじゃないかと綱吉は思う)、安全運転を自負されてもちっとも信用できない。
それでも結局言い返すことなどできずに乾いた笑いを浮かべながら、まともに絶叫マシーンにすら乗れない綱吉は力なく肩を落とした。
「っ…!…っ…、……っ!!」
声も出せない、とは正にこのことだ。投げ渡されたヘルメットがフルフェイスのもので本当に良かった。
スピードに関しては生まれて初めてバイクに乗る綱吉には速いのか分からないが、何を思ってか二人乗りのバイクで車の列を縫うように縦横無尽に走ったり、赤信号が見えると脇道に逸れて走り抜けたりと、とにかく停止しない。
絶叫マシーンもかくや、だ。
当然にシートベルトも命綱もないリアシートは、前で運転している相手だけが頼みの綱。
手を腰に回せと言われた時には何の嫌がらせかと本気で顔を引き攣らせたが、はっきり言ってこの体勢以外では自分はきっと振り落とされて死んでいただろう自信が綱吉にはある。
揺れる、曲がる、ずれる、進む、曲がる、揺れる、倒れる、倒れる。
揺れる、
揺れる、
揺れる。
短いブレザーの裾が捲れ上がり、わずかに余裕のある袖の布地や肩に引っ掛けたままの死守した通学鞄がばたばたと大きな音を立てながら引っ張られるように後ろに流れる。
前から叩きつけるような風圧に振り飛ばされそうになりながら、必死で腕を回した雲雀の腰にしがみつき、その背中に身体を押し付けて。
何分、経ったのだろうか。
時間の感覚が完全に麻痺してしまった脳には、永遠とも思える時間の、後。
バイクがゆっくりと、ゆるく弧を描きながら思いがけない柔らかさでようやく、止まる。
フルフェイスのヘルメットにも関わらずきつく瞑っていた目を恐る恐る開けば、当然のように目の前には黒のスーツの背中で埋め尽くされていて。
慌てて離れようとするも強張った腕は言うことを聞かず、ヤバイ、と思うより先に強い力で引き剥がされてその勢いのままバイクのリアシートから振り落とされるように転がり落ちる。
尻餅をついたのは、硬いアスファルトの上。
目の前に差す人影にもたつきながらも慌ててヘルメットを外して上を仰げば。
「着いたよ」
そう言って、青空を背に綺麗に笑って見せた相手に一瞬見蕩れ、それから背後に広がる風景に首を傾げる。
飛行機、が、あるのは一向に構わない。
綱吉はイタリアへ行くのだ。
飛行場へ向かっていたのだから、それは当然だ。
しかし。
「ここ、どこですか…?」
人けも、そして建物らしいものも倉庫以外見えないこの場所は、行ったことがなくとも『成田空港』でないことぐらいは綱吉にも分かる。
そんな綱吉の、当たり前の純粋な疑問に、
「僕の家の滑走路」
使いたくなんてなかったんだけど、背に腹は代えられないし。
あっさり、言ってのけられた言葉に。
「…は!?」
目も口もぽかんと見開いて、綱吉が固まる。
だって朝、リボーンに聞いた時は。
思い出す、高い声とその手の中の航空チケット。
「成田空港発の…えーと…AZ‐七七八九便?とかっていうのに乗るんじゃないですか…?」
必死に、綱吉は記憶を辿る。
小さな手の中のチケットと、赤ん坊の家庭教師の高い声。
成田空港からローマへ飛んで、それからパレルモ―――シチリアへ飛ぶ、と言っていた。
そうだ。
確かに、そう言っていたはずだ。
そして、最後に。
思い出した続く言葉に、すぅ、と綱吉の顔から血の気が引くのに、
「赤ん坊に聞いてないの」
どこか嗜虐的な色を帯びた、それともただ単に面白がるような。明らかに、綱吉が知らされていないことを知っている、笑みの気配の混じる口調。
「…ま、さか…」
最後に、思い切りいい笑顔で、直行便だぞ、と笑っていた赤ん坊の顔。
それはつまり、日本からイタリアへの直行便、という意味ではなく
「よかったね、ボンゴレ本部までの直行便だよ」
「ありえね―――――っ!!」
超直感なのか何なのか。
気付けてしまった現実を、朝見た赤子と同種の笑顔と同じ言葉で裏打ちされて。
綱吉は座り込んだまま、思い切り腹の底から叫んだ。
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