願望充足型の悪夢
「よー、ツナ」
朝の教室。
目敏いように後ろの入口から自分の席へと向かう綱吉を見つけた山本の声が明るく呼ぶのに、綱吉はどこかほっとしたような笑顔を返す。
それは、ここ最近まるで条件反射のようになっている仕種。
山本に真実を、イタリアへ渡る理由を告げた日。決めた覚悟は、けれど呆気なく行き場を失うこととなった。
向けられる笑顔も言葉も、それ以前と何一つとして変わることなく。それは当たり前のようで、けれど、こうやって朝一番にかけられる些細な声一つすらにも安堵するほど、綱吉にとってはとてつもなく大きなこと。
「おはよ、山本。…なに?」
鞄を置いて、向かう山本の立っているのは綱吉の席に程近い窓際。
当たり前のように数人のクラスメイトに囲まれている相手に挨拶を返しながらその集団に交じれば、当のクラスメイトたちがあまりいい風にではなく笑いながら視線を向けてくるのに気付いて、綱吉は軽く眉根を寄せる。
幼い頃からの馴染み深い嘲り交じりの揶揄の笑みではなく、剥き出しの好奇心のまま、いっそ下卑たと称したいような、にやついた笑み。
不快なわけではないけれど、何とはなしに居心地悪い。
「……え、本当、なに?」
向けられる視線は、あからさまなまでに明らかに、綱吉に注がれていることは分かるが、しかしながらその意味が知れない。
「やるじゃん、沢田」
「はあ?」
「そーそー。ここ最近毎日同伴出勤!見せつけてくれちゃって」
「あれ、他校の子だろ?どこで知り合ったんだよ」
「すげー可愛いよなー。近くで見たことないけどさあ。お前いつのまに彼女できたんだよ。裏切り者め」
羨ましーヤツー!と。
一人目が口を開いたのをを皮切りに、次々とかけられる言葉。
分かりやすい冷かしは、最後には皆、「羨ましい奴」に行き着くのはやはり高校生男子ならではなのか。
―――いや、問題はそこでは、なく。
「……彼女?」
口々に囃し立てられる言葉の中身を理解はしたが、その言葉が示す相手が分からず、綱吉は思い切り不審に眉を寄せる。羨ましい奴も何も、現在もって、恋人いない歴はイコール年齢として記録更新中である。
「今更惚けんなってー!毎朝仲良く登校しやがってよ―」
「そーそー。結構噂だぜ?」
なー?と山本にも水を向けるらしい声に綱吉もつられてそちらを向けば、どうやら本当らしく曖昧な笑みを向けられる。
知らなかった、と思うよりも先に、惚ける?とからかうように言われたことに首を傾げている辺り、大分話が噛み合っていないことに気付いているのは今のところ山本だけだっただろう。。
しかし、山本が口を挟む間もなく、綱吉が畳みかけられる会話を理解する間もなく、クラスメイト達のテンションは上がっていくようで。
「なぁ、沢田―。付き合ってどんくらい?どこで知り合ったんだよ?」
「名前くらい教えろよー。あ、写メとかねーの?」
「むしろ俺らに紹介して!」
彼女のトモダチとかさ!
ひどく明るい調子で進んでいく会話は、けれど根本的に噛み合っていない気が、する。
事ここに至って、綱吉はようやくそう思い至る。
「ちょ、っと待って。うん、ちょっと待った。…彼女ってもしかして、凪のこと?」
それはあまりに、思いがけない。
周囲からそう見えることなど考えもつかなかった綱吉は、ようやく向けられる言葉の意図する先を理解して思わず動揺する。
だって、凪、は。
「凪ちゃんって言うの?かわいーじゃん」
「いや、うん、。凪が凪なのは間違ってないけど、彼女じゃ、ないよ?」
「は?毎朝一緒に登校してんじゃん?」
普通、ただの友達じゃあ、他校なのにわざわざ一緒に登校しねーだろ?
あからさまなからかいの調子で告げられるのに、友達、とは違うかもしれないけど、と前置きして。
「凪は…知り合い?…仲間?」
そんな感じかなあ、と。
改めて説明する言葉を見失った綱吉は、首を傾げながらも、それでも彼女ではないと弁明する。山本以外、誰一人として信じた様子はないが。
「ほら。だから違うっつったろ」
「ってもさあ。あんな可愛い子つかまえて、仲間ってなんだ仲間って。大体どこで知り合えるってんだあんな可愛い子と!」
「っ、オイ!」
教えろー!とふざけた調子で綱吉に絡む相手に、山本の声があからさまに焦る。
絡むその行動にではなく、何の気なしに向けられた、その言葉、に。
「どこ、って……」
何処、って。
続けようとした言葉を、見失う。
ふいと、意識が遠退く心地。
まるで何か、夢の続きのような。
最近多い、と思う暇もなく体の軸ごとよろめいて。
「ツナっ!」
頬を叩(はた)かれるような強い調子の、よく知る呼び声。
それと同時に声以上に強い力でよろめく体を支えた腕の力とタイミングよく響いた予鈴に、遠のいた意識が一瞬急激に引き戻される。
「っ、…やま、もと…?」
しかし、上げた瞳に映る、どこか辛いような黒の瞳の持ち主の名前を呼ぼうとした喉は、不安定に揺らいで擦れ。
それきり意識は、濃い白の霧に、溶けた。
「十代目…?」
開けた視界に、真っ先に飛び込んできたのは痛ましげな緑灰の瞳。蛍光灯を背に縁を艶めかせる灰銀の髪に縁取られた端正な白い容貌は男らしいのにひどく繊細で、見慣れた今更にも、羨ましいなあとどこかで思う。
浮かべられているのが、相変わらずの度を越したような心配顔であっても。
「獄寺く…?」
「よ、ツナ。気ぃついたか?」
「山本…?あれ…オレ…?」
「朝、倒れたの覚えてっか?」
心配げに、不安げに。
問われる言葉に、ああ、と思い至るのは、今朝一番に教室の窓辺で交わした、揶揄も顕わなやり取り。
「…あの後、オレ倒れたの…?」
訝しいように眉根を寄せて、それでも軽く頭を振りながら起き上る綱吉に、まーな、と返す山本の声がどことはなしに歯切れ悪い。
獄寺はと言えば、大丈夫ですか十代目!?と、自分の方こそ大丈夫かと問い返してやりたくなるほどの蒼白な面で。
「俺がその場にいれば、十代目を倒れさせるようなことはなかったでしょうに…っ!!」
深い悔恨を込めた声が、まるで土下座の勢いで沈み込みながら呻くのに、綱吉は、大丈夫だから、と苦笑を一つ。
「本当に、全然大丈夫なんだけど。…何か最近、疲れてんのかなあ…?」
こないだ倒れたばっかじゃん、オレ。
むぅ、と。
小さく唇を突き出すようにして首を捻る綱吉は、逸らした視線で痛いような苦いような光を浮かべた山本と獄寺の様子に気付くことは、なく。
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