ずっと前から決めていたことだったよ



 初めに告げたのは、いつまで経っても赤ん坊のままの、黒衣の死神。
 家庭教師、に。

 二度目に告げたのは、青味がかった黒髪のあまやかな姿の少女。
 少女の姿をした、青年。
 かつての敵、に。

 そして三度目は。
 銀とも灰色ともつかない長い髪の、端正な容貌に似合わぬ激しい気性をもった異国から渡ってきた青年。
 初めてできた、友人―――嵐の守護者。
 短い黒髪に精悍な雰囲気を纏った、爽やかな笑顔の似合う野球の好きな青年。
 憧れの、親友―――雨の守護者。
 刈り込んだ髪に鍛え上げられた体躯の、迷いなく厳しい瞳で自らを律し続ける青年。
 初恋の少女の、兄―――晴の守護者。
 癖がかった黒髪に吊った切れ長の瞳の怜悧で端麗な美貌と、痩身に反した獰猛な性質を併せ持つ青年。
 ある種の、喩えようもない絶対者。―――雲の守護者。
 青味がかった黒髪のあまやかに愛らしい、けれどどこか浮世離れした少女。
 哀しくて優しい、少女。―――霧の守護者、或いはその、依代。
 そして、二度目に告げた相手と、その姿はまるで同じ、少女。

 黒衣の家庭教師が、ではなく、初めて綱吉自身がその継承する名に於いて呼び集めた、彼の守護者。

 大空。
 その指輪に、懸けて。


* * *


「で、何の用なわけ?」
 こっちはお気楽な学生と違って、暇な身じゃないんだ。
 音も立てずに開いた窓。相変わらず、階上であるはずの窓から何の気配もなく当然のように入り込んできた青年は、最後に現れたというのに真っ先に口を開く。
 沢田家二階、道路に面した綱吉の部屋には赤ん坊の姿も含め現在七人の人間が揃っている。
 部屋の主である沢田綱吉とその家庭教師であるスーツ姿の赤ん坊、そして男女取り混ぜた五人の青年―――ボンゴレの守護者。
 さして広くもない部屋の中は、それだけ入れば十分いっぱいで、座る場所を確保するだけで一苦労だ。
 申し訳程度に置かれている足の短いローテーブルには、一応人数分のお茶とお菓子の盛り合わせが用意されているが、手をつけられた様子はなく。
「すみません、ヒバリさん。すぐ終わりますんで、…えーと、お茶でもどうですか?」
 みんなも、どうぞ?
 ベッドのすぐ下、テーブルの前で床に直に腰を下ろし、愛想笑いのような力ない笑みと言葉で綱吉が勧める。
 小首を傾げた状態のまま一通り部屋の中を見回せば、到着した順に、綱吉の両脇にテーブルを囲む位置で獄寺と山本が(余談であるが、集合時間より大分早々に、同時に到着したこの二人が、どちらが綱吉の右隣を確保するかで揉めた結果、いつものように部屋が半壊しかけ、いつもと違い掃除されてあったはずの綱吉の部屋は結局、現在普段と変わり映えしない雑然さを誇っている)、狭いテーブルを挟んで綱吉の向かい側、丁度綱吉とは逆隣に獄寺と山本に挟まれる形で了平が胡坐を掻いて。そしてテーブルやベッドからやや外れた了平の後ろ、ドアの傍に髑髏が座り、彼女の対角をなすようにドアと反対、窓の桟に腰を下ろす雲雀が、今日招いた最後の客人。
 リボーンはといえば、今日に限っては我関ぜずといった風情で、優雅に一人、片手にエスプレッソコーヒーを支えて、ベッドの上で傍観者の構えで。
「んじゃ、もらおっかな」
 綱吉の言葉に、にか、と気持ちよく笑い、旨そうだと思ってたのなーと言いながら山本が菓子鉢に盛られたクッキーに手を伸ばす。
 それに咎めるような視線を送り何事か抗議しようとした獄寺であったが、ありがとう、とひどくほっとしたように告げた綱吉の笑みに口を噤み、
「…では有難く頂戴します!十代目!!」
 大袈裟な、けれど普段と変わらないといえば変わらない様子で頭を下げてカップに手を伸ばす。
 中学の頃なら山本のやることなすことに噛み付いていたというのに、今では綱吉の表情や空気を読むようになっているところは、成長といえるだろう。
「美味しいです!十代目がお淹れになったんですか!?」
 紅茶を一口含むなり感動したように詰め寄ってくる獄寺に、
「え、あー…うん。一応、オレが…」
「十代目手ずから俺のために…!素晴らしいお味です!!」
 曖昧に返された綱吉の肯定に、更に感動を深めた獄寺が渋みがどう、香りがどう、と賛美を捲し立て始めてしまい、実は徳用ティーバッグの紅茶だと言うタイミングを逃した綱吉は、その細い眉を八の字に歪める。
 けれど、困惑に揺れる綱吉の気持ちを救うかのように、獄寺の言葉を遮る声。
「このクッキーもマジで旨ぇよ。おばさんの手作り?」
 クッキーを食べ終えた山本の台詞に、顔の向きを変えた綱吉はほっと一つ、安堵の吐息を吐く。
「う、うん。そう。いっぱい人が来るって言ったらはりきっちゃってさ。…甘すぎたりとか、ない?」
 母さん、甘党だから。
 気を損ねたような獄寺の睨みは極力気にしないように、引き攣り気味の笑みを山本に向ければ、全然そんなことねーよ?と、嘘の見えない明るい笑みが返される。
 その笑顔に背を押されるように幾分緊張を解いて正面に向き直った綱吉は、
「…お兄さんも、いかがですか?」
 目の前のやりとりにも黙り込んだままの了平に、水を向ける。お茶だけでも、と加えたのは、現在ジムに所属して、本格的にボクシングを行っている了平には、栄養やカロリーを考慮した食事制限があるのではないかと思い至ったからだ。
 しかし、控えめに付け加えた綱吉にも、了平はうむ、と唸ったきり綱吉の方を眺めるばかりだ。
 元々、リボーンや雲雀とは異なる意味で考えの読めない人物であったが―――何せ、突き抜けすぎていて常識を持ったままでは予測もつかない―――、去年の夏辺りから、特に何を考えているのか分からなくなっている。
 それでも、憂いすらも晴らすほどの真っ直ぐさで自らの定めた道を突き進んでいく人だから、懸念や心配を抱くより先に、きっと綱吉がしっかりしさえすればいいだけの話だろう。正直、彼を気にかけられるほど、自分の足場も行く先も、しっかりしてはいない。
 いっそ単純に羨ましいほど、彼は彼を生きている。
 巡らした思いすらも見つめるような、その打算も曇りもない真っ直ぐな視線に居心地悪そうに身じろぎしながらもそれ以上の反応を諦めた綱吉は、更に視線を動かし、言葉を継ぐ。
 動かした視線の先には、短いスカートから剥き出しの膝を抱えた少女。
「クロームは、いらない?」
 美味しいみたい、だよ?
 淡い笑みと、戸惑いの濃い言葉。その果敢無いような刺激に、けれど部屋のどこをも見ていないようだった隻眼が綱吉を映す。
 ぼんやりと綱吉を眺め、それからゆっくりと動かされた視線がまたぼんやりと、テーブルの上のお茶やお菓子を眺め。
「……ボスは?」
 眺めた視線を再び綱吉へと戻し、幼い表情で首を傾げる。
 それは予想もしなかった切り返しだ。
「へ?」
「ボスは、食べないの?」
 心底、不思議そうに。
 幼い仕草で問われて、綱吉は困ったように視線を彷徨わせる。
「えーと…。一応オレが招待した側だし、ここオレの家だし、このお茶とかお菓子とか、母さんがお客さんに食べてもらうように用意してくれたものだし。…クロームたちが食べたら、食べるよ」
 ―――だから、食べない?
 そう続けた、綱吉に、
「……なら、食べる」
 ぽつりと、続け。
 座っていた座布団から膝立ちに移動し、きつね色をした小さめのクッキーを二つ、桜色の指先でつまむ。
 そして。
「はい」
 一つは、自分の手で持って。
 もう一つは、綱吉に差し出して。
「…へ?」
「私、取ったから。次は、ボスの番」
 そう言って、真っ直ぐに見つめてくる視線に綱吉は、そういう問題じゃないよなぁと思いつつも、情けない笑みを浮かべてありがとう、と告げてクッキーを受け取る。
「えーとー……ヒバリさん、は、どれ食べられま、」
 す?と。
 続けるつもりであった音は、永久に宙に浮いたままとなる。
「何度、言わせるつもり?僕は暇じゃないんだ」
 ついでに群れるのも、好みじゃない。
 瞬き一つ分の時間も要さず、窓から離れ綱吉の傍へと来たらしい雲雀が、いつの間にか取り出されたトンファーを綱吉の首元へと突きつける。
 空気の流れようもない程度の隙間を置いて、けれど首筋には一切触れていない、鉄の棒。
 けれど、一瞬かかる風圧と、台詞通りの不機嫌さ以上の剣呑さで見据えてくる吊り上った切れ長の漆黒は、硬直した綱吉に息と共に言葉を飲み込ませるには、十分な威力。
「さっさと、始めなよ。君の都合に付き合ってやる義理なんて、これっぽっちもないんだからさ」
 言って。
 珍しくリボーンが止めることはなく。
 更に珍しいことに、獄寺や山本が止めに入る前に、雲雀はあっさりとトンファーを首筋から引く。
 そしてそのまま背を向けて、興味が失せたと言うように元のように桟に腰掛け窓枠に凭れて目を伏せる雲雀を、部屋中の瞳が追い。
 その瞳は、自然、綱吉へと集まる。
 しかし、当の綱吉の瞳は、やわらかに伏せられ。
 上げられた目蓋の下、色素の薄い飴色の瞳が。
 光を含んだ清水のような、透明さで。

「秋になったら、イタリアへ渡る」

 瞳の透明さ。
 表情の、透明さ。
 それら全てを映し込んだような透明な声音で、綱吉が告げた短い言葉。
 ただそれだけを告げた、ひどく凛とした、言葉。
 声。
 その声が、紡いだ言葉の示す意味、は。


「……ふぅん?」
 再び口火を切ったのは、雲雀。
 ゆるく伏しがちにされていた瞳がゆっくりと開き、綱吉へと巡らされ。
「それで?」
「それだけ、です」
「成程。じゃあ、もう帰っていいんだよね」
 告げた、雲雀に。
「はい」
 ありがとうございます、と。
 怯える様子のない綱吉に。
 それだけだ、と。
 告げた綱吉に怒りを見せる様子もない雲雀に。
 部屋の内にいる者は皆、違和感を感じながらもそのあまりに自然な流れに声をかけることすらできず。
「みんなも、ありがとう」
 お茶もお菓子も、食べて行ってね。
 それを最後まで聞くことなく翻った、黒のジャケットと。
 透明さが抜けきらない、けれどいつも通りのどこか情けないような柔らかな笑みで告げられたその言葉が、今日の召集の終わりを示している。





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