7 t h , A p r i l . . ...
「どうぞ。好きに寛いで下さい」
並中正門前から徒歩20分ほど。
一方的な骸の話し声と震えるような綱吉の頼りない相槌だけが響く、綱吉にとってはひどく長い、拷問のような道のりのあと辿りついたのは、ごくごく一般的な一戸建ての民家であった。
いや、一般的、というにはやや豪華かもしれない。
それでもやや裕福な中流家庭という風情のその民家は六道骸という人物とは限りなくそぐわないごくごく『普通』の雰囲気しか持っておらず、そのことに綱吉は少し首を傾げる。
意外、だ。
黒曜ランドに連れて行かれるとは思っていなかったが(方向が違うし、何より徒歩には少し遠い)、まさかこんな普通の家に連れてこられるとは思っていなかったのだ。
そもそもここは、誰の家だろう?
「………?」
骸に連れられて、入口からすぐのリビングのソファに、まるで手慣れたエスコートのように自然な動作で導かれ腰を下ろすことになった綱吉は、わずかに顔を上向けるようにしてきょろりと部屋の中を見回す。
大きな窓の取られたリビングダイニングは、昼の光が余すことなく降り注いで、暖かに明るい。
何やら鼻腔を擽るいい匂いが、本日3年生としての初登校、半日授業(始業式とホームルームと掃除だけだが)で昼食をまだ食べていない綱吉の空っぽの胃を刺激して、ぐうぅと情けない声を上げさせる。
無遠慮にならない程度に見回す部屋の様子は、豪華、というほどではないが高級感のある調度。
ただどこか殺風景で、人の住む家庭特有の温かさというか雑然とした雰囲気が全くない。
まるで誰も住んでいない、みたいな。
「僕の家、ですよ」
「え?」
「あんまり帰ってないですけどね」
最近は特に。
綱吉をソファに座らせたあとどこかに去っていった骸が、戻ってくるなり綱吉の気持ちを読んだようにそんなことを告げてくる。
「ここ、に住んでるの?」
「ええ」
「ひとりで?」
「いまはそうですね」
にこり、と。
優しいとも甘いともいえる笑みに、その切れ長の瞳と薄い唇が緩む。
見惚れそうに綺麗な、けれどどこか油断ならないような、相反する色を包括した笑み。
その笑みをどこか呆然と見つめたままの綱吉に、骸が更に笑みを深くして。
「それより、お腹空いてませんか?お昼御飯、用意したんですけれど」
にこにこと笑いながら告げられた言葉に、綱吉はぱちりと一度薄茶色の瞳を瞬いたあと恐怖と驚愕とにその瞳を大きく瞠り、強張らせて。
「………ようい?」
と、いうことは。
「はい。手作りです!」
「…お前、の?」
「当然」
他に誰がいるって言うんですか?
「とろとろ卵のオムライスにじっくり煮込んだデミグラスソース、オニオンスープにツナサラダ、デザートのいちごムースに至るまで全部!僕の手作りですよ!」
輝くばかりの笑顔で告げられた骸の言葉に。
「―――…う、うちでかあさんがつくってまっててくれるんで…」
全身隠しようもなく、精神的にも物理的にも引いて引き攣った綱吉が、何とかそれだけを、喉から絞り出す。
―――超直感、以前の問題である。
* * * * *
じゃあ、これだけでも。
言って笑顔で渡されたのは、やわらかなオフホワイトのマグカップに注がれた、あまい香りのホットミルク。
ふわりと空気を揺らすのは、ひどくやさしいぬくもり、で。
「ホットミルク…?」
「ええ。春ですけれど、今日は少し冷えますからね」
笑顔のまま告げる骸は、、自らが先に手の中のカップに口をつける。
ふわりとそちらから香るのは、芳しいコーヒーの香り。
昼の光にゆらゆらと光る黒の水面はひどく苦そうなのに、目の前の青年は顔色ひとつ変えることなく喉を鳴らす。
ブラックコーヒー、なんて。
香りはひどくよいのに、あんなに苦いなんて詐欺だと思う。
未だにミルクと砂糖を大量に投入した、カフェオレもどきしか飲めない綱吉はそんな目の前の涼しい綺麗な顔を見て、内心すごいなあと呟く。
些細なこと、だけれど。
「…どうしたんですか?」
「っ、いえ!何でもないです!大丈夫ですもらいます!」
すい、と不審げな骸の視線。
深紅と濃藍の不安を誘うような不可思議な双眸に見つめられた綱吉は、は、と我に返ると激しく首を横に振って手の中のカップに口をつける。
ほわりと、口の中に広がる甘さ。
ほんの少し熱めの、けれど火傷するほどでもないミルクは舌と鼻腔に優しい甘さを広げる。
その、甘さは。
「…これ、」
「おや、気付きましたか?蜂蜜が入ってるんですよ」
美味しいでしょう?
「蜂蜜…?」
にこりと笑って告げられる言葉に、綱吉は首を傾げる。
唇に、舌に、温かに触れる甘さは確かにミルクだけのものではなく甘いものを好む綱吉には好ましいと思えるもの。
しかし、喉を滑り落ちる甘さと熱は、それだけ、ではない気がして。
「…蜂蜜だけ、じゃないだろ?」
ほんの少し眉根を寄せるように、不審や嫌悪というより困惑の色の強いその綱吉の表情に、おや、と骸が芝居がかった風情で小首を傾げて見せて。
「何のことでしょうか?」
「…骸、」
「……よく、分かりましたねぇ」
ゆうるりと、二色の双眸をしならせて至極面白いものを見るように骸が綱吉の瞳を覗き込む。
薄茶の瞳が、わずかに険を強めて、強い。
睨むというほどではないけれど、詰るようなその色に、しかし骸は動じる様子もなく。
「何入れたんだよ」
「ブランデーを、少々」
香り付けにいいでしょう?
「ぶらんでー?」
「まあ、つまり洋酒――お酒、ですね」
「はああぁぁああ!?」
ぶぅっ、と口の中のミルクを噴き出しそうになるのを危うく堪えながら、それでも飲み込み損ねた液体に大いに咳き込んで、綱吉は盛大な声を上げる。
さらり、と告げられたのは、とんでもない単語。
「おっ前!なに考えてんだあっ!?オレは未成年だっ!」
「僕だって未成年ですよ?」
「じゃあなんで酒なんてあるんだよ!?未成年の飲酒は犯罪だぞ!?」
「今更。ばれなきゃいいんですよ」
「いまさら!?確かに今更かもだけどなお前は!!オレは犯罪者になる気はないよ!大体身長も伸びなくなるって言うしさ!しかもお酒なんて、ダメ大人の始まりじゃねーか!」
オレはダメ親父みたいにはなりたくないんだ!
ぎゃあぎゃあと叫ぶ綱吉の声に宿るのは、悲しくなるほど切実な綱吉の思いだ。
願い、といってもいい。
一笑に付してもいいような内容だが、どこか笑えない切実さが宿る。
「ていうか!」
がんっ!
乱暴に机の飢えに叩きつけられたのは、綱吉の手の中にあったマグカップ。
はねた白のミルクが、ぽつぽつと硝子のローテーブルの上を汚す。
しかし溢した綱吉も、目の前でそれを見ていた骸も一向にそんなことを気にすることなく。
「人に酒なんか飲ましてなにするつもりだったんだよ!?」
ぎ、っとまろい薄茶の瞳がきつくきつく睨みつけて問うのに。
「何、って」
薄い笑みを貼り付けたまま、骸が弧を描く唇の端をほんのわずか更に持ち上げて。
立ち上がって、ソファの向かいに座る骸が綱吉へと手を伸ばす。
伸ばされた手が、まろみの強い頬を滑り、白く膜を張るように潤ったままの薄赤い唇へと伸びてどこか色めいた仕草で、辿って。
繊細、ともいえる指先。
呆然と、瞠られた大きな薄茶の瞳に映るのは、凄絶ともいえるような色香を纏った笑み。
「…ナニ、でしょうね?」
凄絶に、艶冶に。
微笑む唇が紡ぎだした言葉の意味を、綱吉が正確に理解できはしなかったけれど。
それでも。
「…しっ、知るかああ――――――っ!!」
腹の底から吐き出すような見事な悲鳴とともに、骸を突き飛ばした綱吉はそれこそ死ぬ気弾もないというのに死ぬ気の全速力でその場を逃げ出した。
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