許されるなら、まだ傍に



 じゃら、と。手のひらから指の間から零れていく鎖を月明かりに翳す。
 じゃらり。
 ちゃらり、と。
 澄んだ、というにはどこか耳障りな金属音が夜に響く。
 その鎖に填め込むように留められているのは、鈍く金属的に光る、重厚な意匠の彫銀された分厚い指輪。
 霧の意匠を施した、ボンゴレリング―――。
 じゃらん、と。
 重い音を立てて、銀の指輪が鎖ごと手の中から羽織るパーカーの腰のポケットの内へと滑り落とされ。
「窓開けてそんな所にいると、狙撃されますよ」
 ああ、それより先に、馬鹿でも風邪引きますかね。
 何の気配もなく、次期ボンゴレ十代目の私室に侵入を果たした青年が、あからさまな毒でもって声を掛ければ。
「いらっしゃい、骸」
 パーカー羽織ってるから、大丈夫だよ。
 開いたままの襟元を抓んでみせながら、窓辺に座って暗いばかりの夜景と夜風を楽しむ風情だった次期ドン・ボンゴレの名を持つ少年は、待っていたと言わんばかりの柔らかな微笑みで侵入者を迎えた。



「何か飲む?」
「いいえ。飲まれるのならお淹れしますが?ドン・ボンゴレ?」
「あははー。冗談でもいらない。何入れるつもりだよお前!」
 頬を膨らませるようにして、ひどく子供っぽく拗ねてみせる綱吉に、近くのサイドテーブルに用意されていたティーポットを軽く持ち上げて見せていた骸は、至極残念そうに、おやおや、と嘯く。
「…否定しないしなあ!?」
 半泣きで叫ぶ。その姿には、明日ドン・ボンゴレを―――イタリアン・マフィアの頂点を継ぐという威厳も貫禄もあったものではない。
 軽く瞳を細めてその様を見つめる骸は、音を立てずに陶磁器製のティーポットをテーブル上の盆の上に戻して。
「―――明日にでも、ボンゴレを出ようかと思いまして」
 おもむろに、切り出す。その言葉に、けれど驚くでもなく綱吉は小首を傾げて。
「そっか…早いな。身体、大丈夫なの?お前もだし、他の三人も」
 身体中の機能が低下していた骸はもとより、復讐者に捕まった犬や千種も浅くはない傷を負っているのだ。むしろ、つい最近まで調子を崩していた髑髏が、一番調子がいいくらいだ。
 いつの間にか少女の裡に芽吹いていた自我は、それこそが少女を骸と隔て、守る盾だ。
 それはもしかしたら、少女にとっては悲しく淋しいことかもしれなくとも。
「十分ですよ。これ以上病室に閉じ込められていたら、鈍(なま)ってしまいます。リハビリなら自分達で勝手にしますし」
 継げる言葉とは裏腹に、骸の状態はあまりよくはない。
 元々の素質があったためか、それとも力の残滓なのか、幾許かは六道の能力も残されているが、それでも瞳を介さないそれは赤子のようなもので。
 けれど、そんな現状など億尾にも出さず、整った面をにこやかに笑ませる。
 その瞳の奥、ほんのわずか見え隠れする物騒な色。
 踏み込むな、とあからさまに告げるのを察した綱吉の口から零れるのは、深いため息。
「―――あんまり、暴れすぎないでくださいね…」
 骸や雲雀、リボーンに関しては止めるだけ無駄だと悟ったのはいつの頃か。そんなことに労を割くくらいなら、如何に周囲への被害を最小限に抑えるかを考え実行する方が、余程有意義で、建設的であるのは間違いない。達観といわれようと、諦めといわれようと、逃げといわれようと、それは綱吉が短くない彼らとの付き合いの中、必死で学んだ鉄則だ。
 その代償に、平穏とか平凡とか人並みとか常識とか、何か人間としてひどく大事なものを無くさざるを得なかったような気がするけれど。
「止めないんですね?」
「…学習しました。止めるより守ったほうが早いし、ずっと前向きです」
「成程。では、思う存分暴れられますね」
 ―――何か違う。
 思いながらも、継げる言葉を先のもの意外は見つけられない。
「……………………ほどほど、で」
 苦悩するように優しげな眉値を寄せて、綱吉が繰り返すのに、骸は相変わらずにこやかに笑いながら。
「検討しましょう」
 『善処』、にすら満たない、『検討』。しかも、嘘だ、と断言してしまいたくなるほどに白々しい。
 それに、はああぁ、と次期ボンゴレが重々しいため息を吐くところに。
「だから、綱吉君?餞別を下さい」
 あくまでもにこやかな、けれどひどく押し付けがましい骸の言葉。
 それに、
「せんべつ…?」
 思い切り訝しく、色素の薄い茶の髪に縁取られた幼さの色濃い容貌が、歪み。

「ええ、餞別に。―――霧の指輪を、」
 守護者の任を。

「僕に下さい」


 薄笑みと共に突きつけられた要望に。
 少年の纏っていた余裕の色は、ひどく呆気なく、音を立てるように剥がれて、落ちた。



「…な、んで…?」
 骸の言葉に呆然と瞠られる瞳。
 柔らかなウィスキー色の光を零す上等のシャンデリアの光に透けて、骸を映すその瞳はとろりと蕩けそうな飴色に潤んで。舐め取ったならきっとひどく甘いのだと、いつかと同じ思考を、けれどどこか異なる心地で思う。
 怯え含みに揺らぐ飴色に、相対する二色(ふたいろ)はひどく緩慢に、うっそりと笑みしなって。
「さあ?」
 ゆるり。
 焦らすように傾げられた、もしかすると綱吉よりも細いのではないかと思わせる首筋から、はらりと零れて流れる洋藍じみた黒の髪。
「強いて言うなら、君を夏祭りに誘ったのと同じ理由、でしょうかね」
 零れ髪を掻き遣るでなく、笑んだままに骸の足がゆっくりと一歩、綱吉に近付く。
「っ、――― !」
 その台詞にか。
 それとも縮まった距離、にか。
 ひゅうっ、と大袈裟な音を立てて鳴る、綱吉の喉。
 無意識のように左手が、縋るように自らのパーカーのポケットを、外側から皺寄るほどに握り締める。
「な、に…」
 掠れた声が、ひどく動揺に揺れる。
 それに頓着する様子のない骸の足取りは、更に一歩、一歩と確実に綱吉との距離を縮めて。
 飴色の瞳を支配するのは、あからさまな、怯えだ。
「…っ、ムリ、だっ!ムリだよ!!もう復讐者との交渉は大詰めなんだ。もう少しで、特赦が出せる。そしたらちゃんと、お前を離してやれる」
 マフィアと馴れ合うなど、組するなど、冗談じゃないと。
 幾度も幾度も口にした、お前、を。
 ようやく。
 必死に、捲し立てられる言葉の群れ、は。
 ひどく骸のことを思うようで、いて。

「君が勝手にしてるだけでしょう?」

 ―――今までありがとう、と。
 あの日告げた少年そのままの、身勝手な望みとしか、思えない。
 少年が、逃げる、ための。
 そして今、骸が再び抱いている想いも。
 同じく勝手な、自分のための、望み。
 骸の断じた言葉に、今度こそ瞠った瞳のまま色を亡くして固まった相手に。
「まあ、どうでもいいですよ」
 告げる声は、優しげですらあって。
「君が勝手にするらしいので、僕も勝手にすることにしました」
 追い詰められた、壁際。
 伸ばされた手に、あからさまに左手、を―――そのパーカーを握り締める拳の中のもの、を庇うように、思い切り捻られた身体に、反して。
 病的なまでに白々とした手が、掬い取る、のは。


 右手を取る。
 決して大きいとはいえない、温かな体温の手。
 中指に、大空の指輪。
 掬い取った手を、躊躇いもなく引き寄せて。

 跪いた己の、唇へと。


 ―――それはまるで、忠誠を誓う、ように。


「い、やだっ!!!」

 駄目だ、でも。
 無理だ、でも。
 やめろ、でも。
 それ以外の言葉でも、なく。

 『嫌だ』というなら。

 それは紛れもなく『綱吉』の願望だったのだろう。

 けれど。


「―――――、ぃっ!?」


 ガリ、と。
 ひどく嫌な、骨が砕かれたのではと、思えるような。
 そんな音と、激痛と。
 熱。

 咄嗟に引いて庇った右手はあっさりと骸の手から外され。


 その、こゆび。
 指の付け根。
 血の気が引きそうに鮮やかな緋に染まる。

 まるで、指輪のように、戒めのように、ぐるりと付け根を彩る。
 ―――噛み痕。



 そして。
 色の薄い唇の所々を生々しく斑の血に染めた唇を、に、と吊り上げて見せ付けるようにぺろりと舌で舐めとって見せた男は。

「餞別、貰いますよ?」

 掲げられた手の中。
 じゃらりと銀に揺れる鎖と、霧の意匠の、ボンゴレリング。





 ―――なんで、
 お前に望むのはもう、『それ』だけ、なのに、





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