許されるなら、まだ傍に
ボンゴレ本部別棟・医療施設。その中の一室、病院でいうなら集中治療室とでも言うべき部屋に骸が髑髏と一緒に放り込まれたのは、車で護送されるようにしてボンゴレ本部に着いてすぐのことであった。
「怪我なんてしてませんけど」
強いて言うなら、リハビリくらいは必要でしょうけど。
水牢から出た後、自分の脳に幻術をかける形で無理矢理に動かしている骸の肉体は、実際早々に悲鳴を上げている。捕らえられてから後、ずっと水中にいたため重力や自重の負荷のなかった肉体は筋肉から骨に至るまで著しく萎縮し、ずっと同じ姿勢を強いられていたせいで関節もがちがちに拘縮している。機械に繋がれていたせいでほとんど使われていなかった心肺機能や消化器系をはじめとした内蔵機能は極端に低下しているし、同じく運動神経や自律神経などの神経系統もほぼ完全にいかれていると言っていい。
それでも骸はそんな素振り一つ見せず、自分をその部屋に放り込んだ黒衣の赤ん坊に嘯くように微笑んで見せて。
「…血生臭ぇんだよ。それに、隠しきれてねーぞ」
時々、右眼がブレる。
苦々しげに、赤子の高い声。
それにぱちりとそのオッド・アイを丸めた骸は、次には諦め交じりの苦笑を刷いて。
「まぁ、仕方ないですかねえ…」
「当然だ。それに、女を苦しめるもんじゃねーぞ」
赤子らしくはない、けれど限りなくリボーンらしくはある、その流儀。
言うだけ言ってあっさりと部屋を後にする赤子の背を見送って、骸はただ、ため息を零すしかできず、
ふ、と。
ベッドに横になる自分の上に落ちた影に、骸はゆっくりと伏せていた瞼を上げる。
途端、視界いっぱいに広がるのはよく知る少女の驚き顔。
「クローム?」
「あ、ごめんなさい。起こしましたか…?」
「いえ、目を閉じていただけで、起きていましたから。―――それより何か、用なのでしょう?」
決まり悪げに大きな隻眼をあちこちに揺らす少女に柔らかに笑んでやりながら、骸は横たえていた体をベッドから起こす。微かに体に疲労は残るが、気分が悪くなるほどではない。
心配げな少女の気配に気付いてはいたが、現状、寝過ぎでいるのが骸の体には一番の毒なのだ。
「あ、…大したことじゃ、ないんです。ただ、眼が…あの、大丈夫なのかと、思って…」
言葉を選びかねるような、その台詞。
その内容に、骸が傍目に分からぬほど、ほんのわずかだけその双眸を瞠る。
髑髏にも誰にも、眼を潰されたことは話していないし、また幻術を施して補っていたため眼を潰した当人である雲雀以外には、感付いたリボーンにしか知られていないはずのこと。その二人がわざわざ他人に、しかも髑髏にその話をするなど、考えられないことで。
「…何のことですか?」
言われることを図りかねるというように首を傾げてみせれば、心配に染まっていた隻眼も困惑に塗り潰されていく。
どうやら彼女の勘の良さも、侮れぬものらしい。長年骸に繋がれて生かされていることによるものなのか、それとも、女の勘、なのか。
するりと、しっとりとした肌の感触。
骸の言葉を聞いても拭い切れない不安を表すように、髑髏の女性らしく細くやわい指先が、骸の右眼の周囲を確かめるようにゆるりとなぞる。その、幼い子供のような頑是無い仕草に小さく笑って骸が瞳を閉ざせば、ごくごく慎重な動作で指先が薄い瞼の皮膚の上から眼球を撫ぜて。
じれったいほどにくすぐったい、その刺激に耐えていたのは何秒か、何分か。
ようやく満足したらしく、細く安堵の息を吐くのを気配で感じて骸は眼の上の小さな手のひらを掬い上げるように自らの指に絡め、巫山戯るように唇を寄せる。
小さい。
けれど少年のものとは違い、ふくよかな肌と細やかさを持っている。
じゃれるようなその仕草に、少女の吐息に楽しげな笑みが混じる。
「骸様、くすぐったい」
「僕もくすぐったかったですよ」
くすくすと。青年と少女は一頻り指を絡めてじゃれ合うと。
ベッドの横に立っていた少女は、おもむろにベッドの縁に腰掛けて、上半身を捻るようにしながら、青年の肩に頭を寄せる。
「おや、どうしましたか?疲れました?」
随分甘えますね、今日は。
咎める色など欠片もない、ただ甘ったるいだけの艶やかな美声に、髑髏は凭せかけた頭をそのままに小さく首を横に振る。
「ううん…。骸様、髪長くなってるのね」
しっとりと、露を含むようになめらかに指先に吸い付く、黒髪というには青味の強い髪に頬を寄せながら、どこかぼんやりと髑髏は呟く。その指先は、手遊(てすさ)ぶように長い髪先を絡めて。
「四年も切ってませんからね。―――どうしたんですか?本当に」
「ううん。…本当に、なんでもないの。だけど、ただ、時間が経ったのだな、と思っただけ」
四年。
『凪』が死んでから。
『クローム』が生まれてから。
もう、四年。
目の前の青年の髪は長く伸び、頬から顎へと流れる輪郭の線や切れ長の目尻の辺りが、肉の削げ落ちたせいだけでなく凛々しいように鋭くなって。
そして、変化はきっと、自分の身体にも。
「ボスの、襲名―――戴冠式も、もう明日だと、思って」
骸が復讐者の水牢から救出されて、一週間。
ドン・ボンゴレの戴冠式は、もう間近だ。
お披露目はまだ先らしくそれほど騒がしい気配はないが、それでも本部とは別棟のこの部屋にまで物々しいような緊張感を孕んだ空気は伝わってくる。
「明日?―――今日は、十三日でしたっけ?」
骸の記憶では、戴冠式は十月十四日―――沢田綱吉の誕生日の、はずだ。
そして今日の日付は、十二日だと記憶していたのだが。
「今日は、十二日よ。ボスの戴冠式は明日―――十三日」
「おや、知りませんでしたね。いつ繰り上げになったのですか?」
「いつ、かは分からないけれど―――ボスはずっと、十三日にするつもりだったみたい」
どうしてなのかは、知らないけれど。
呟くように続けて、髑髏は少しだけ力を強めて骸の肩に頬を押し付ける。しばらくすると、仄かに伝わってくる布越しの体温。
ぬくもり。
ようやく帰るべき場所に帰り着いたような心地に、この一週間、髑髏はずっと甘えていて。
甘えていたから、気付かなかった。
気付くのが、遅れた。
「ねぇ、骸様は、ただいまって言っては、くれないのね…」
唇から零れ落ちた言葉は、取り留めもなくて。壊れ、糸の切れたネックレスから零れ落ちるビーズのように、ばらばらと零れて、散らばって。
「おや、そうでしたか?」
それは、気付かなかったですねぇ。
より強く寄せられた身体に、骸は宥めるように髑髏の短い髪に指をすべらす。
「今、ではもう遅いですか?」
声が優しい。
触れる指先も、また。
けれどかなしい想いはどうしても拭えなくて。
「いいの…。別に、言ってもらいたいわけじゃないの。ただ、言葉が出て来なかったのなら、私達は骸様の帰る所じゃなかったという、だけ」
私の口からは、それは自然に出てきた、から。
「おかしなことを言いますね、クローム。君達以外に僕に帰る場所があると?」
「…分からない。確かに私達は骸様の所が帰る場所だし、骸様に帰ってきてほしい、けれど。骸様が帰りたい場所なのかは、私には分からない」
「私の想いが私だけのものであるように。骸様の想いは、骸様だけのもの、だから」
告げる少女の声は、いつの間にか大人びて。
骸の―――六道輪廻の影響だけでなく、それ以前に、自我というものがひどく薄く、生まれたばかり子供のように寄る辺なかった少女とは、思えない。
「―――クロームは、変わりましたね」
「そう、ですか?…だと、したら。骸様と、―――ボスの、おかげ」
それはなんのてらいも気負いもなく、告げられる。
そのしなやかさ。
変化を厭わないその強さは、骸にはないもので、そしてそのかなしい優しさは、骸をして好ましいと感じさせる、もの。
「…僕は、クロームのことが好きですよ」
「…うん」
「千種のことも、犬のことも。君達が、愛しいと思います」
「うん…知ってます。とても、大切にしてくださってることも」
「でもきっと、骸様にとっても私達は近過ぎたの。―――私達はどこまでも、貴方の意思に従うだけ、だから」
まるで自分の一部のようで。
帰るというには、あまりに近かったのだ。
「………ボスが、ね」
「ボスがずっと、かなしいって言ってたわ」
「骸様のことを、かなしいって言ってたわ」
骸様がかなしいんだって、言っていたわ。
かなしい、と。
繰り返していたのは少女の声。
けれどそれを教えたのがあの少年、だというのなら。
―――かなしい、というのは。
恋しいという感情にひどく近いことを、あの少年は知っているのか。
「振られたのは、僕の方じゃないですか?」
髑髏の言葉に、骸はおどけるように肩を竦める。
一方的にボンゴレリングを―――霧の守護者の任を解かれ、突き放されたのは自分の方、と。告げる微笑がひどく深いかなしみと、投げやりな苦さを浮かべていることに、本人はきっと気付いてはいない。
綱吉は、一度だって自分の感情を悲しいと表さなかったけれど。
それでもひどく、悔しいと、告げていたことを、骸も髑髏も、知りはしない。
「…っで、も。そうかも、しれないけれどっ」
「だって、ボスは」
「…だって、ボスは、っ!」
「ずっと恐がりなまんま、よ」
きっとあの人は逃げる、と。
知っていなかったとは、言わせない。
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