棺は捨ててしまった



「出てこい、骸」
 紛うことなく、聞き違えようもなく呼ばれた名前に、おや、と目を伏せたまま内心一瞬首を傾げて。それから、そういえば、と思い出す、この呪われた赤子のもつ技の一つ。
「ああ…君は、読心術が使えるのでしたっけ」
 言いながら、やはり馴染みにくい肉体を動かして起き上がり、厳しい眼差しの赤子に笑みを向ける。案の定、渋い顔をされることに更に愉快になれば、自然笑みも深まって。
 多分それは、この肉体の本来の持ち主―――沢田綱吉、ならば決してできないような表情。
 傲慢で、そして毒のある。
 意図して作った笑いのまま口を開けば、ここ数年で聞き馴染んだ低くなりきらなかった男声。
「取引しませんか?アルコバレーノ」
 更に嫌そうに歪む瞳に向かって、骸はあくまで優雅に微笑む。
 リボーンと―――つまりは、ひいてはボンゴレとの取引。
 復讐者との取引の際にも思ったが、マフィアに膝を屈することに感じると思っていた屈辱や憎悪どころか、何某かの感慨すら浮かばない自分に、驚く。
ただ、じくりと、どこともしれない深い部分が鈍く粟立つ、ような。
「―――どういうつもりだ」
 冷えた声に、思考を断ち切られる。
 上げた瞳に、無表情のまま怒りに満ちた黒の瞳。感情を持たぬかのように顕わにしない、目の前の赤子にしては、それはひどく珍しい。
「そのまま、の意味です」
 ―――取引をしましょう、と。
 繰り返すも、赤子の警戒は解けず、頷く気配もない。
 そんなリボーンを眺めながら、骸はほんのわずか首を傾げるようにして、悩むように持ち上げた指先を唇に宛がう。
 目に入ったその手に、細くて小さいと、ふと思う。
「復讐者が動き出していますよ?」
 笑んだまま、続ける。
 僕がいれば、便利でしょう、と。
 その笑みを睨むように、一度リボーンは沈黙して。
「復讐者が動く理由がねーぞ。動いたとしても、それは『戴冠式』とは関係ねえだろ」
 奴らは法の番人だと、淡々とリボーンが続けるのに、
「君は知っているはずだ、呪われた赤ん坊―――黄色のアルコバレーノ。復讐者の本当の存在理由を。彼らの在る、目的を」
 あれは亡霊、でしょう?
 綱吉の顔で笑んだまま、綱吉の声で骸は続ける。
 自らを鎖に繋ぐ、『復讐者』の名を持つ者達。裏の法の番人というその名を、裏の世界での常識以前の前提を、真っ向から否定する、その台詞。
「―――お前、どこまで知ってんだ?」
 険しいリボーンの声に、骸は唇を吊り上げ。
「恐らくは、君と同じ程度。―――復讐者は、亡霊だ。法の番人なんて、見栄えのいいものじゃない。アレは、ある意味で僕と同じものだ。マフィアの犠牲者。例えば、咎無く身代わりの犠牲にされたもの、例えば、思考一切を奪われ兵器とされたもの、例えば―――ファミリーの名の下に、実験体にされたもの。マフィアにありながら誓いを立てず、ただ搾取されるだけだった者達。その成れの果て。連綿と受け継がれるマフィアの闇、妄執と怨讐に取りつかれた―――亡霊でしょう」

「復讐は、裁けぬ闇の奥の罪人に対して行われているのではない。『マフィア』という組織そのものに対して行われていることを、君は知っているはずだ」

 違いますか、と。
 ひたり、と飴色の双眸が見据えてくるのに、リボーンが小さく舌を打つ。
 骸の言葉は正しい。
 正しかった。
 だからこそ、どうして、という疑問が尽きない。
 それは最高機密どころか、とうの昔に風化し塵と化してしまったはずの歴史の真相。
「―――どこで、それを知った」
 問う赤子の声に、今までにない険が宿る。
 おかしいのだ。
 マフィアとして生まれたわけでもなく、またマフィアをより憎く思うらしいのに、骸は明らかに知り過ぎている。
 復讐者に関してだけではない。
 それは、彼の能力を考え合わせても、納得がいかないほど。
「どこで、と言われると、僕としては、さあ、と答えるしかない。僕は知ったわけではなく、知っていただけですよ」
 幼げな顔の笑みが、不可思議に歪む。真意の知れない笑みと言葉に、けれどもう、リボーンに問い詰める気も骸に応じる気もなくて。その辺りの駆け引きが、自分達が似ているものだと否応にも悟らせる。
「アルコバレーノ、もう一度言いましょう。復讐者は動き出しました。十代目ボンゴレの戴冠式を契機として。そして僕に取引を持ちかけてきましたよ。十代目ドン・ボンゴレを消せ、とね」
 どうしますか、と。
 性質の悪い笑みを浮かべて骸が問うのに、リボーンはまだ答えない。
 答えるわけにはまだ、いかない。
 復讐者を裏切るような言葉を告げながら、けれどそれと同じ口で、彼は綱吉の記憶を奪い、間接的にボンゴレ十代目を消そうとしたのも事実なのだ。
 誰を裏切り、何を守り、望みの在処はどこなのか。
 それが知れない限り、リボーンは骸を使おうなどとは、とてもではないが思えない。
「…それでお前は何を望むんだ?」
 慎重な、その対応。
 さすがに一筋縄ではいかない、と骸の―――否、綱吉の唇から、ひそりとため息。
「まず以前頼んだように、何より、クロームの保護と治療を」
 それはもう結構な昔、霧の守護者としての任務と引き換えに骸が提示してきた条件と、同じ。
 それに目で頷いて見せ、先を、と促す目線に骸は続ける。
「それから千種と犬の安全と自由の保証を。暫くの間―――戴冠式の終わるまで、ボンゴレの監視をつけても構わないので三人、特にクロームを、絶対にこの国から離れることのないようにしてください」
 骸が復讐者を裏切ることで、今まで骸を対価に見逃され続けてきた彼らには、確実に復讐者の手が伸びるだろう。
 それは、罪を購わせるためではなく。
 骸に対する人質として、だ。
「―――お前自身については?」
「僕はマフィアに施してもらうつもりも理由もないので」
 あっさりと返される骸の答えは、その本質を―――否、立ち位置(スタンス)をあくまで変えるつもりがないことを雄弁に表す。
 骸の中ではそれほどに『マフィア』に対する憎悪は絶対的なもので。
 絶対的でなければならないもの、で。
 その感覚が、どこかリボーンの琴線に触れるが、それはすぐにそれ以上の違和感に掻き消される。
 骸にとって、『マフィア』に対する憎悪は、限りなく絶対、だ。
 ―――それでも、何かが確実に、変わった。
 変わったと、言うよりも。
 そこまで考えるが、その後に続ける適切な言葉を思い付けず、リボーンは不毛な思考をそこで途切らせる。
「分かった。―――それで、テメーは何で取引するつもりだ?」
 にぃ、と。
 綱吉の唇の両端をくっと持ち上げた骸は、魔法のように持ち上げた手の中に鈍い銀の指輪を取り出して、

「―――忠誠を」

「生きる場所も死ぬ場所も、懐(おも)いも欲も皆捨てた。どうなりとも使えばいい」
 ―――これは取引だ、アルコバレーノ。

 足を組んで傲然と。 
 けれど告げる言葉、は。
「……どういうつもりだ」
 探るというにはいささか険の強い、リボーンの黒瞳。
「この子の側(がわ)につきましょう、と言っているんですよ」
 これがどういう意味か、君には分かるはずだ。
 双眸をしならせて、骸は嗤う。
「彼の意志を無視することになっても、」
 嗤う。
 綱吉の手のひらの上、鈍い銀が昼の光に強く光を弾いて。
 右目の紅が一際鮮やかに嗤って。
「―――分かった」
 ため息のように吐き出される、その言葉。
 それから。
「―――国外へ、出さなければいいんだな?イタリアへ入れないのではなくて」
「ええ。イタリアでなくとも、近付いてもらうと困るので」
「分かった、そう手配しよう。それから、ボンゴレの監視はいつからだ。俺は正式にはボンゴレじゃねーからな。そんなすぐには動かせねーぞ」
「ああ…。そう、ですね…」
 人差し指と中指の二本を唇に宛がい、少し悩むように言い淀んで。
「いつならば?」
「最短で明日中ってところだろうな」
「では、明日の昼までに。それまでなら僕の術でもつでしょう」
 あの娘(こ)を見るように言い置いてきましたし。
 独り言のように、それだけ呟いて。
「それでは、そろそろ失礼しましょう」
 にこやかに、笑みを作り上げる。
 作り物のように、綺麗に。



「骸、一つ答えろ」
 去り際。
 リボーンの高い声が硬く強く、響いて。
「お前、今までに指輪を持ったことがあるか。現世じゃない、今まで、だ」
 その問いに。
 幼さの強い顔に似合わぬ、毒の強い、けれど鮮やかな笑みを浮かべて。

「まさか。ないですよ、僕はね」





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