願望充足型の悪夢



 1人の青年が歩いている。
 昼の太陽に鮮やかに照り映える金茶の髪は無造作にあちこちに跳ねて、その下の顔には痛々しいようないくつかの傷跡。鼻筋を横切る明らかな刀傷痕が一際に目を引く。
 どう贔屓目に見てもチンピラとか不良とかと世間では呼ばれる類の雰囲気。なのに、威嚇するような大きな動きで周囲を威圧しないその優雅とも見える足取りが、そんな世間の目を裏切る。
 閑散とした郊外の道筋から並盛の商店街のほど近くまでやって来たところで、青年はふと、何気ない風に周囲に視線を巡らせる。流れるように動かして再び正面へと戻された視線はごく自然で、けれどその自然さのまま、ほんの一時ずつ止まった回数は、二回。
 自分のやや後ろを歩くビジネスマン風のダークスーツの男性と、シャツにジーンズと言った出で立ちの青年を視界の端に収めながら、青年は小さく口の端を持ち上げる。
 それは多分に、性質の悪いような形に歪んで。
「おや」
 視線のずっと先、並盛高校の正門前に見えた人影に、青年は思わずその茶色の瞳を丸くする。向こうはまだこちらが見えてはいないだろうが、何せこの肉体は視力ばかりはやたらといいのだ。
 思いながら歩を進めていくうち、正門との距離は十メートル足らずというところ。その段になってようやく、正門前に佇む黒髪の青年はその瞳を上げる。
 迷いなく近付いてくる姿を捉える漆黒に驚きの色はなく、視覚で確認していなかっただけでとうに近付くその気配は認識していたのだろう。
 そもそも、わざわざ尾行までつけていたくらいだ。
 ―――彼がつけた者だけ、ではなかったようだが。
 やはりまだ信用されていないか、と当然と言えば当然のことを思って、青年は小さく笑みを吐く。そして、笑みのままに視線を向ければ、その金茶髪の青年の姿を捉えた青年の双眸は、次の瞬間どこか訝しく眇められて。
「お久し振りですね、雲雀恭弥」
 その娘(こ)を引き取りに来ました。
 告げてにこやかに、けれどどこかに皮肉を潜めた薄っぺらの笑顔を浮かべた青年に。
「―――久し振り?何の冗談なの、それは」
 嫌悪も顕わな、黒髪の青年の答え。
 それにわざとらしく首を傾げてみせて、白々しく何のことでしょうかと問うて寄越す相手を見ることもなく、雲雀は足元に丸く蹲(うずくま)ったままくたりとしている少女を目で示して。
「邪魔なんだけど」
 それは、視線で示す少女がか、それとも目の前に佇む青年がか。
 発せられる台詞は、どうとでも取れそうな曖昧さ。むしろ、どちらも含まれているのだろう。
 それに薄っぺらな笑みのまま一度肩を竦めて見せた青年は、そっと少女の傍に膝をつくと白い瞼の奥の瞳や首筋の脈を辿りながら、少し安心したような雰囲気で少女を見つめ、その腕に抱き上げる。
「ご迷惑をお掛けしたようですね」
 言いながら、けれど詫びるでもない青年に、
「全くだよ。いい迷惑だ」
 こちらも、全く遜(へりくだ)る様子のない雲雀の言葉。
 それに金茶の髪先を透かした茶色の双眸を、いっそ酷く愉快げにしならせて青年は笑う。
 その、右眼が。
 どこか血の色を透かすように、或いは映し込んだかのように、刹那鈍く紅に輝き。
「無理だよ。少なくとももう、僕には効かない。―――もう、分かってるんだろ、君」
 面白くもなさげに、雲雀が釘を差す。
 実際、何一つとして面白くはないのだ。
 本来ならトンファーの一つも出して咬み殺してしまいたいほどにこの目の前の相手はやることなすこと一々雲雀の神経を逆撫でしてくれるのだが、いかな雲雀と言えど『本人』が痛み一つすら感じないと知ればさすがに殴る気も失せてしまう。
 雲雀の言葉に態度ばかりはさも残念そうに肩を竦めて見せた青年が、けれどその実残念がる気配すら見せず、むしろ皮肉げな、性質の悪さの覗く笑みを残したままの、今は茶色にしか見えない双眸に雲雀を映して。
「おや?」
 不思議がるのか、面白がるのか、今一つ判然としない語尾の上がった反応。どちらにしろ、この展開自体は相手の予測範囲内であることは分かっている。
 ―――否、むしろ試されたのだ。
 しかし雲雀はそんな彼の遊びに付き合う気などさらさらになく。
「六道骸」
 多分出会って初めてに、その名をしっかりと口にする。
 確信を込めて。
 向かい合う、『城島 犬』という名を待つ肉体の、その茶色の双眸を見据えて。
「沢田綱吉も、イタリアへ行くよ」
 続けられた、雲雀の言葉に。
 笑みしならされた瞳の奥が、ほんのわずか波紋に揺らいで。
「…それは、願ったりかなったり、ですね」
 返す言葉に刹那空いた間は、本音ゆえか、強がりゆえか。
 分からないけれどそれは、青年に―――六道骸にしてみれば、ひどく芸のない答えで。
 けれど思考や行動はともかく心情の部分で骸と全くに相容れない雲雀には骸の真意は図りようもないし、そもそも図ろうとも思わない。
 そんな雲雀に、骸は終始絶やさなかった艶やかな微笑を殊更優雅に歪めてみせてから。
「この娘(こ)を保護していただいて感謝していますよ」
 それでは、と。
 白々しいような別れの言葉で締め括り、青年は腕に少女を抱いたまま元来た道を逆に辿る。
 ―――黒曜の地へと、戻る道を。



 物音を聞いた気がして、千種はふと、見つめ続けていたディスプレイから顔を上げて周囲を見回す。そうして巡らせた視線の先、すぐに金茶色の派手な髪色の、見慣れた姿を見つける。
 けれど。
「…犬?」
 ソファを見下ろす後姿に、言いようのない違和感。そもそも犬は、これほどに静かな気配を纏えただろうか。
 疑問の答えは、けれど振り向いた顔の表情と、ずらされた半身の向こうに見えたソファで眠る少女の姿に、一気に解決される。
 つい先ほどまで、そのソファに少女などいなかったのだ。
「ああ、千種」
 にこり、と。
 独特の笑声はないまま、けれど振り向いた犬の目口で形作られた柔和で皮肉なその笑み、は。
「……骸、様……」
 呼ぶ声は、驚きは、どこか虚ろに響く。
 直に言葉を交わしたのは、それでも一週間も前ではないだろう。それでも、少女の姿以外でその人と言葉を交わすのは、懐かしいほどにひどく、久しい。
 普段乏しすぎるほどに起伏に乏しい千種の表情が、呆然と弛んでいるのに、骸は更に笑みを深めて、嗤う。
「クロームは眠っていますので、起きるまで放っておいてください。…ああ、でも、きちんと見ていて上げてくださいね」
 犬にも、静かにしてクロームを苛めないように言っておいてください。
 続けながらも笑みしなる、茶色の瞳とやや厚めの唇は骸と重なる所のない犬の肉体のままであるのに、その笑みの形だけで千種にはそれが骸だと分かってしまう。
 それほどに、その笑みは骸を表す。
 ただ綺麗というには毒の強い、世界を一歩引いた位置から挑むように嘲り見下している。けれどそれは同時に、骸の真意や本心と言ったものをぬるま湯の冷たさで覆い隠してしまうものでもあって。
「…放って、おくのですか」
 問う千種の声が、少し神経質に尖る。骸の真意を推し量るように慎重に、けれど瞳の端に隠しきれぬ焦燥を滲ませて。
 そんな千種の焦りに気付かぬ振りで、殊更ゆったりと骸は微笑んで見せて。
「放っておいてあげてください。けれど、きちんと見てあげてくださいね」
 繰り返される、同じ文句。
 命令、と言い換えてもいいだろう、千種にとっては。
 つまり。
 つまり、は。
「…で、は」
「では骸様は、どうなさるんですか…?」
 問いかけは、頼りなく揺れる。
 頬に嫌な汗が伝うのを感じながら、千種は必死に言葉を紡ぐ。
 受け入れられない。
 眠る少女の肉体は骸の管理下にあるのだ。
 骸の言葉に諾と頷くことは、即ち。
 今後の身動きを、完全にこの地に留められてしまうということだ。
 けれど、千種が察したことに気付いているであろうに、骸は柔らかな笑みを絶やさぬままに、
「僕はやるべきことがあるので」
 あっさりと、言ってのける。
「じゃあ、俺達も…!」
 骸の言葉に、言い募ろうと声を荒げる千種を、けれど。
「千種」
 骸は、その一言のみで、抑えつける。
 続ける声を失って、痛むように悲しいような色を湛えて唇を噛み締める千種に、
「仕事は、ちゃんと与えたでしょう?」
 追い討ちをかける、有無を言わせぬ、骸の言葉。
 その声に宿るいっそ優しげとすらいえる響きに、どうしても蘇る風景。
 夜と熱と、恐怖と、そして優しげな響きの残酷な言葉。
「千種」
 促すように、呼ばれる、名前。
 求められていることなど、分かりすぎるほどに分かってしまう。
 分かってしまった、から。
「―――………Si, mio-donnno.」
 諾、と。
 絞り出すように、それでも声にしてしまった返答に。
 犬の肉体のまま、骸はゆったりと普段通りの笑みを浮かべていて。
 ―――その笑みに重なるのは、もう何年も前、復讐者の手から千種たちを逃してのけた優しげな残酷さを含んだ、最後の微笑。





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