ピエタ・ラクリマ ―黄昏・Ta―
「あ、」
夕闇が、辺りに押し寄せてくる。
その中を、制服姿で歩いていた一人の少女は、背後で響いた声に驚いて、スカートのプリーツを揺らしながら振り向く。
よく知る声。
彼女の耳に、二番目にやさしく響く、声。
驚いたように母音で止められた声のままに、その表情も止まっている。鮮やかな朱金の陽光に染められて、色の淡い髪や瞳が、どこか蕩ける蜜のよう。
「ボス」
見慣れぬ場所で見た顔に、少女―――髑髏も驚いて目を見開く。
黒曜ヘルシーセンター―――彼女たちの根城は、目の前の少年の暮らす並盛からは近いとはいえない位置。わざわざ訪ねるほどの施設もない寂れた立地のせいで、自分たち以外に近寄るものなどほとんどいないのだ。
自分を―――否、自分の主を嫌っている節のある、この綱吉などは、特に。
「えっと…くろーむ、さん?今、帰り?」
ひとり、なの?
どこか恐る恐るに訊ねられる、言葉。
その細い眉宇が、わずかだけの困惑と、それから心配を含んで顰められているのに、髑髏は小さく首を傾げてから、こくりと頷く。
「そう。犬たちとは、学年が違うから。…ボスは?」
訊ねれば、心底困ったように。
歪んだ眉とどこか泣きそうに揺れた瞳に、聞いてはいけなかったのかと表情に出さないまま少し慌てる。
どうしよう、と。
抱える黒の鞄を―――正確にはその中にある三叉の槍を、よすがのようにきつく擁く。
それに気付いたのか、空気で察したのか。慌てたように、綱吉の口が開かれて。
「あ、えっと…。…げ、元気かな、とおもってっ!」
全然会わないし、リボーンも教えてくれないし、他のみんなは止めるし、どうしてるのかわかんなくって!
「それで、」
――それ、で。
言葉が途切れる。沈黙が満ちる。静寂が耳に痛く響いて、刻々と沈む低い陽光に照らされて、綱吉の表情は見る間に闇に沈んでいく。
俯いた表情が、見えなくて。やわらかな色の瞳が、暗色に沈んで。
それが少し、髑髏には、かなしい。
どこか刷り込みのように、綱吉を慕う髑髏だったから。
「…ありがとう、ボス」
言うべき言葉を、思いつけない。少し咽喉が詰まって声が掠れたけれど、それでも思ったままの気持ちを懸命に告げる。
ありがとう、と。
それから。
「うれしい、」
それは、とてもとても、素直な気持ち。
告げたら。
どこか驚いたように、上げられた瞳が見開かれ。
「…え、」
「ボスに会えて、ボスが会いに来てくれて、嬉しい」
少しだけ、頬が緩む、くらいに。
その、馴れぬように浮かべられた表情に、綱吉の白い頬に微かに血が昇り。
「あ、ありがとう。オレの方こそ!…クローム、さんは、優しいね」
くしゃりと。
くずれるように幼いような少年の顔が笑み。
「やさしい、ね」
同じ言葉が、少しだけ響きを異にして、呟かれる。
少し、痛いような。
―――羨む、ような?
「ボス?」
「あの、他の二人は、元気?」
「犬と千種?…普通、と思う。少し、さびしそうだけど」
骸様に、会えなくて。
「あ、そう…か」
「うん」
「………」
「………」
「むくろ、は」
「、え?」
「骸は、どう?」
少しだけ、躊躇うように。
告げられた名前に、髑髏はひどく驚く。
綱吉は、骸のことを嫌っていると、思っていたから。まさか気にかけてくれているとは思いもしなくて。
「あの、普通。…少しだけ、楽しそう、かも。別に、そういう話をするわけではない、けれど」
そんな、雰囲気。
大好きな人に、大好きな人の話をするから。
それがどこか少し嬉しくて、髑髏はいつもより大分滑りよく話す自分を自覚する。
何より、この頃の骸はとても優しくてとても楽しそうだったから。
「そ、か」
よかった。
髑髏の言葉に、綱吉の表情が小さく綻び。
綻ぶ、けれど。
その表情が、どこか、痛い。
「ボス?」
「ご、めん。オレ、帰るね」
送れなくて、ごめん。
俯いたまま。
早口で告げる相手に、髑髏の方がひどく泡を喰って。
「え、あ。それは、大丈夫。でも、ボス」
「ごめんね、」
「ちが、う。ボス、大丈夫?」
咄嗟に、向かい合う相手の袖をつかむ。
長袖の、制服の白いシャツ。少しよれたその生地を掴んで、引き止めて、様子のおかしい相手を覗き込めば。
「クロームさんは、優しいね」
だから、きっと。
「え、?」
呟くにも足らない、音になるかならぬかの大きさで呟かれた声は。
髑髏の耳には届かなくて。
「ボス、」
「ありがとう」
呼んだ名は、流されて。
残されたのは、指先を剥がされた手に残された相手の熱と、熱の失せた白い笑顔だけ。
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