花散る涙を、ぽろり、ひとつ



 黒の水とぽつりぽつりと一時もとどまることなく浮かび上がる灯の群れ。
 その幻想的な風景を背に負って見下ろしてくるひどく優美な青年の顔を見上げたまま、綱吉は寄越されたぽっくりを履き直すでも受け取るでもなく、呆然と川べりの土手に座り込んで。
 蛍の光よりずっと強く、けれど同じほど果敢無くそれ以上に切ないような灯りの群れ。
 その幻想的な風景を違和感なく背に負う青年の姿は、今は普段と変わりない。
 変わりない、のに。
「沢田綱吉?」
 呆然と見つめてくる不可思議な琥珀の光が入った飴色の瞳に、骸はどこか人形めいた面をひどく人間臭い様子で怪訝に顰める。
 その変化に夢から醒めたように綱吉は幾度か瞳を瞬かせて、
「………むくろ?」
 今更のように、名を呼ばう声が、震える。
 どこか幼いようなその声に、何だ、と更に骸が怪訝に瞳を眇めるのに、綱吉の唇が小さく戦慄く。
 つやり。
 近くを流れた灯籠の火に、淡く染められた唇の表に光がすべる。
「お、前…」
「何ですか?」
「なんで、…そうだよ、なんで気付かなかったんだろ。お前、なんで、どうして、」

「お前、どうしてここにいるの」

 飴色の瞳が、ひどく頼りなく揺れる。
 光彩に、色を差すように琥珀の光が入り、飴色が何か綺麗な炎のように輝く。
 その色に、真っ向から見据えられた骸は鋭く息を呑んで。
「沢田、」
「だって、そうだろ?クロームが、いるのに。お前は」

 ――お前はまだ、水の中、なのに。

 綱吉の瞳が、ひたりと骸を上目に見据える。
 それに、一瞬だけ目を瞠った骸は、それから諦めたような愉快なような複雑な笑みを唇に刻んで。
 く、と喉の奥で笑う音。
「それは、君の超直感ですか?」
 次期ボンゴレ、と。
 その呼称に、綱吉の表情がひどく厭そうに歪むのにも構わず骸は嗤う。
 嘲りを含んだような。
 それが誰に向けられたものなのかは、綱吉には分からなかったけれど。
「違う。…と、思うけど。だって、気付かなかったのがおかしいんだ。なんで、忘れてたわけでもないのに、オレ…」
「人間の思考なんて、そんなものですよ。それより、さっさと立ったらどうですか」
 なかなか刺激的な格好になってますよ。
 浴衣の肩を竦めながら揶揄するような骸の言葉に綱吉がそのとき初めて自分の姿に目を移せば、浅葱色の浴衣の裾は盛大に絡げられて臑から腿から露になり、右の足はぽっくりも脱げ落ちて裸足のまま投げ出されて。襟の合わせも整えられていた帯も弛んで解けかけ、見える肌に所々痛々しい朱が滲むよう。
 しかし、ひどく静かな瞳でそれを見下ろした綱吉は骸の揶揄も露な台詞に怒るでも恥らうでもなく、静謐なままの表情で再びその瞳に骸を捉えて。
「…手、貸して」
 どこか強情な、瞳の光。
 強情で、それでいて何か、咎めるような。
 まろやかな線の瞳がひどくきつく、骸の笑みしなる瞳から体の脇に垂らされる紺の浴衣の袖から見える白の手指を見つめ。
「骸」
 静かな、高くも低くもない声。
 それほど通りよいわけでもないのに、真っ直ぐに骸の耳を打つ。
 何故僕が、と応じようとして、その静謐な表情に骸は一つ息を吐く。
「…お見通しですか、ボンゴレ?」
 ため息と共に、吐き出される台詞。
 その声に、ひどく大人びた、凪の海のように静かだった表情が途端どこか泣きそうに歪み。
「そんなわけないよ。分かるわけない、お前のことなんて。ただ、何となく…。…お前、なんか、気配が薄い」
 ――思えば、今日初めに会った時からおかしかったのだ。
 常ならあるはずの、背を凍らす恐怖にも嫌悪にも畏怖にも似た、あの寒気がなかった時から。
 思い返しながら、自分の中の言葉を探すように。
 つかえつかえに綱吉は、自分の感情を表す言葉を選びながら話す。
「気配、ねぇ」
「気配、っていうか…。初めて会ったときみたいな、感じ、がなかったし…。クロームの身体で会う時の方が、よっぽど、……こわい」
 最後の言葉を迷うように。
 告げた後も、どこか迷うように、その言葉を口の中で転がす。
「こわい、ねぇ…」
 再び綱吉の言葉を繰り返し、面白がるように骸は青がかった黒髪を揺らして喉の奥で笑う。
 川を流れるほのかな光が、その艶やかな髪を淡い金に彩りながらすべり落ち。
「手を貸してあげますよ」
 ふわり、と。
 綺麗で、ひどく皮肉に嗤う。
 そして差し出される白の手は闇の中に浮かぶように白く際立ち、どこかぞっとするように指先まで綺麗に見える。
 目の前に差し出されたその指先に、戸惑うように飴色の瞳が揺らいで。
 泥と血にまみれて擦りむけ汚れた、差し出された手より一回り足らず小さな手。
 恐る恐る、綱吉はその手を伸ばして。
 重なる。
 目の前の、手に。
 指先が、触れる形に、重なる。
 けれど。

「ああやはり、時間切れ、ですね」
 君の勝ちです、ボンゴレ。

 触れる形に重なりながら、綱吉の指先には触れる感覚も熱も、触れた証明となるものは何一つ伝わることなく。
 重なったまま擦り抜けそうになる手を、けれど恐れるように綱吉はそれ以上動かせない。
 擦り抜けるでも、離れるでもなく、重なる形で固まる手指。
 それに指を絡めるように手を動かした骸は、辿るように手の甲から指先、切り揃えられた爪先までを滑らせて、離れる。
 離れる、といっても、端から触れていたわけではないけれど。
 最後に、形の綺麗な親指と人差し指が挟むように綱吉の小指を辿って。
 その行為に、綱吉が首を傾げれば。


「ねぇ、つなよしくん。楽しかったですか?」


 祭りは、楽しかったですか?と。
 告げながら、淡く輪郭がぶれ始めた綺麗な青年が流れる灯籠の火のように果敢無く切なく映るほどの綺麗で幻惑的な笑みを浮かべて。
 滲む輪郭の白の指先が、もてあそぶようにあちこちに跳ねる綱吉の髪、そのこめかみの辺りに挿された簪を撫でるように触れて。








 そして。
 萎れ枯れた蓮花が、頭上から降り注ぐ。
 ばらばら、と。





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