散るを目前の炎の花



 祭囃子はるか遠く
 香具師の喧騒、人いきれも、彼方。
 屋台の香気も、水の香草の香に紛れて。
 遠く、消える。


***


「うわあ…」
 祭り会場である神社の境内。その裏手、森の中を続く石畳の敷かれた道を歩いた先。足場の悪いそこをゆっくりと抜けた茂る暗い木々のひらけた夜闇の中に、水の気配。
 水音の少ない静かでゆったりとした川の傍には灯りはほとんどなく、けれど明るい。
 流灯。
 燈籠流し。
 黒い水面一面に柔らかに滲む橙が、音も亡く、余韻も亡く、ゆるゆるとすべりゆく。
 夏の盛りの深い夜闇の中、いくつも浮かび上がるほの温かい黄色みがかった橙の光が、ひどく切ないような。すう、と音もなく、ただ川の流れに従う果敢無いような光の群れは、ひどく優しく、ひどくかなしい。
 ぞっとするほどに、幻想的。
 限りない、非現実。
 暗い水面の静かな波が、浮かぶ灯籠の明かりに時折ゆらゆらと白く揺らぎ。
 上流から浮かべられる小さな灯りが無数に広がり、彼方から此方へ去ってゆく。緩やかな流れに、去っては来、去っては来て。
 群れる灯は無数とも思えるのに、混じり合わない小さな光が滑りゆく様は限りなく切ない。
 その行事の意味すらよくは知らぬ綱吉にも、その光景はひどく切なく目に映る。
「…きれい」
 ぽつり、と。
 すぐ隣、呟かれる少女の声のあまさ。
 目の前の圧倒的とさえ言える光景から目を離せぬまま、それでもちらりと流した飴色の瞳に、呆然と正面の光の群れを見つめる透明な黒の隻眼。
 とろりと光る透明の黒は、まるで今の川面のように闇色に清んで。
「きれい、だけど。…だけど…」
 少女が、声を詰まらせるように唇を噛む。その力のまま、ぎゅう、と綱吉と繋ぐ手のひらを握る指の力が強くなって。
 縋るような、その力。
 無意識のように込められるその力と熱に、綱吉の方こそがどこかほっとする。
 人の熱、人の触れる。
 目の前を流れゆく光の色は温かく、すべりゆく光の群れは無数とも思えるのに、全くに交じり合う様子なく、ぽつりぽつりと一つずつ、何の音も気配もなく流れていくのだ。
 その様は、ひどく孤独を誘って。

 切ない。

「世の無常、という感じですねぇ」
 くふ、と独特の笑声。
 見やれば、相変わらず綱吉の手を繋いだままの骸がいつも通りの皮肉な笑みで正面の川の流灯を眺めて、それから面白いものを見るように、一心に見上げてくる綱吉の方へと視線を流す。
 闇に馴染むような、浮かぶような、その綺麗な白の貌。
 と。
「はい、どうぞ」
 頭一つ上、というほどではないが綱吉のそれより大分高い位置にある色違えの瞳がゆるりとしなって、ぽとりと落とされる、白い、
「うわ!?」
 目の前で落とされたそれを、骸の手を振り払った左手で慌てて受け取る。何度か手の中で跳ねさせながら受け取ったそれは、ひどく軽く。
「…え?」
「とうろう?」
 手の中のそれにきょとり、と目を見開く綱吉の肩越しに覗き込むようにしてそれを見とめた髑髏が、紙でできた四角いそれに首を傾げる。
 木枠の代わりに段ボールで枠を作り、四方に白の薄紙を張って、その内側に立てられた蝋燭に空いたままの上から火を灯せるようになっている。
 それは、玩具のような小さな切り子灯籠。
「ええ。香具師の中に売ってました」
「え?あ、これ流すヤツ?川に?」
 綱吉が手の中の切り子灯篭に目を落として、矢継ぎ早に問うのに、
「はい。その紙の部分に願い事とか書くそうですよ。ほら、あそこにペンが用意してあるでしょう」
 指差されるのは綱吉達のいる位置からやや川の上流側に離れた、小さな明かり。白熱灯が吊るしてあるその下には長机が一つと一人二人灯籠に何かを書き込むらしい人の影。
 どうやらそこが、『願い事』とやらを書き込む場所らしい。
「行きますか」
 にこり、と。
 艶やかとも言える風情で微笑んで、骸は綱吉と髑髏、それから少し離れた位置にいた千種と犬を呼び寄せその背を押す。
 導かれたのは、長机の元。
「骸様、」
「お先にどうぞ。僕はもう少し見てます」
 千種がペンを差し出そうとするのに骸は肩を竦めて身を引く。どうやら千種たちが書き終えるまで書く気はないらしい。
 心得た千種たちがペンを手に取り灯籠を囲んで悩みだすのに小さく口の端を持ち上げ、更に一歩、下がる。
 他の四人に、気取らせぬまま。



 長机の傍に集まって。
 千種はペンを持ち、犬は灯籠をためつすがめつし、その横に並んだ髑髏は近すぎない位置でその様子を物珍しく眺め。綱吉は馴染めばいいのか離れればいいのか分からず、微妙な立ち位置でそんな三人の様子を見つめる。
 微笑ましい、といえば微笑ましい。
 まるで本当に、地元の高校生が友達と遊びに来た、という雰囲気の。
「……?」
 離れて立っていた綱吉は、目の前の光景にふと感じた何かに小さく首を傾げる。
 ふと、胸に引っかかる何か。
 違和感、とも少し違う。
 欠落感、とでも表せばいいのか。
 もや、と胸に引っかかるようなその感覚に細い眉を気難しいように小さく寄せた綱吉は、じきに違和感の正体に気付いて更に首を横に折る。
 骸がいない。
 気付いて、慌てて辺りを見渡せば近くに人けなど全くなく。
「、え?」
 驚いて、身体ごと振り向いて更に周囲を見回す。
 茂る木の陰、臑を覆うほどの長さの草の土手、土手を下った先に流れる川、群れる火の光。
 それらを順に、見渡して。
「あ」
 小さく、声が零れる。
 視線の先は、結構に離れた土手の下の川べり。
 澄んだ黒の水面のすぐ傍、何をするでもなく風に吹かれるようなその姿。
 虫の音すらない夏の気怠い暗闇の夜。
 それでも川べりの空気は水に冷やされ、暑気を払う涼風がゆるりとほんのわずか綱吉や骸の浴衣の生地を揺らす。
 ただ一人、姿勢よく佇む立ち姿は、ひどく綺麗で。
 そして同時に、それゆえに、ひどく妖しい。
 それはまるで、川を流れる火の群れのように。
「むく、」
 ふと、不安に駆られる。
 不安に押されるまま、けれど慎重に、転ばぬように慣れぬ履物で骸の立つ川べりの、その土手の上まで歩いてその名を呼ぼうとして。

 揺らぐ姿に、息を呑む。

 揺らいだ、のだ。
 風にでも、当然地震があったわけでもなく。
 闇の中のその姿が、輪郭が、ひどく奇妙に、揺らぐ。
「…え?」
 ぞく、と冷め始めた暑気の中で、背筋に氷を流されたよう。
 走り抜けた悪寒に綱吉の足が止まる。
 が、足を止めたその場所は、丁度土手の一番上、で。
「う、ぁ!?」
 ずるり。
 高さのある不安定なぽっくりの底が、傾斜した地面を踏み損ねて勢いよく滑る。踏み外した足のままバランスを崩した綱吉は、そのまま坂になった土手を勢いよく滑り落ちていく。
 盛大に鳴る草葉の音。
 咄嗟の出来事に悲鳴すらないまま、その音は静かな夜のしじまに響き渡って。
 ざざっ、と草と砂利の音を立てて土手を滑りきった綱吉の落下はようやく止まる。
 浴衣の裾やら袖やらは盛大に捲れ上がり、剥きだしの肌がひりひりと痛む。背で綺麗に整えられていた帯も解けかけで。
 脱げたぽっくりが、闇の中に転がりゆく。
「い、ったたたた…」
 受身というにも情けない、辛うじて頭だけは抱え込んで守った形で滑り落ちた綱吉は、ようやく止まった傷だらけの身体を起こす。けれどどうやら、切り傷や打ち身の類だけで骨折などのひどい怪我はないよう。
 そのことに情けなさを感じながらもほっと安堵の息をつく綱吉の元に。

「…本っ当、何してるんですか君は」

 闇の中、呆れに満ちた、心底から人を馬鹿にしきった声。
 痛みも忘れて弾かれたように上げた視線の先には、声の調子のままに呆れと馬鹿にしきった色を宿したオッドアイと、手つきだけは優雅なままに白の手で放り出すように投げて寄越された女物のぽっくり。





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