愛して欲しかったのだとしたら、それは。
全能なる不可知の存在などでなく、そのぬくもりだったのだ。
***
「神に愛された、という意味を考えたことはあるか?」
窓から差し込む、明るい月光。
ああ。
今日は満月だったのかと、声に振り向きながらこども<はぼんやりと思う。
緋色に縁取られたおとなの表情が、白い光の影で、見えない。
「ないです」
言葉を飾らないこどもの唯一窺える右の目は、硝子玉のように空ろ。
左の顔半分を覆う痛々しい白の下には、同じ表情(いろ)の瞳があることが容易に想像できる、その静か過ぎる表情。
けれど今、その瞳に少し、色味が宿る。
希求するのだろう、問いの、その答え。
答えの、その先を。
「では考えてみろ」
けれどおとなは、にべもなくそう告げる。
容赦がないのは、おとなだけの特権ではないのだけれど。
暖炉の内で、軋るように薪の音。
鼻孔をくすぐる、どこか甘く感じるような炎の匂い。
首を傾げることもなく、こどもは口を開いた。
「いやです」
拒絶。
それでも神を否定しない、その幼い疵の深さ。
否、疵などでなく、疵よりも救い難く、それは深淵までも沁み込み、染め抜かれてしまっているのか。
おとなの口の端が、笑みともつかぬ形に歪められたことに、こどもは気付かず。
色を失う。
再び。
硝子玉に戻った瞳が、ぼんやりと窓の外を眺める。
広がるのは、ただ黒い色。
けれど暖炉の火のほか光源のない暗い室内には、月の光がぼんやりとけれどひどく明るく忍び込んでくる。
白く清らなその光。
その光は、太陽の光を反射したものなのだと。
月自身の輝きではないのだと。
教えてくれたのは、この緋色のおとなではないのだ。
熱を孕まぬ、ただ純粋な光に還元されたその光。
目の端に映る慣れぬ色の髪に、しっくりと馴染むその色。
「考えろ」
おとなの言葉が、有無を言わさずこどもに刺さる。
硝子の瞳を伏せたこどもが、シーツにくるまったまま答える。
「しあわせに、なれるんじゃないですか……」
吐息のついでのような、その声。
ついでどころか、吐息の代わりなのかもしれない。
胸郭を動かす、呼吸と言うその行為。
言葉を発すると言うことで、命を繋ぐ。
その言葉を、言ったそばから否定しているのだろうこどもを、けれどおとなは憐れとも思わない。
憐れと言うなら、むしろそれは。
「違うな」
「でしょうね」
返される否定の言葉に、こどもは当然のことのように<そう応じる。
みしりと。
古くなった板床が音を立て、窓際のおとなが動くのを知る。
明るかった視界を、一瞬にして埋め尽くす、黒。
「考えろ。お前には、分かるはずだ」
頭の真上から重く圧し掛かる、低い声。
こどもの瞼は、伏せられたまま震えることもない。
「わかりません」
シーツに包まれた、その小さな身体も身じろぎ一つ窺えない。
「分からぬわけがない。神にその御手を愛された者が」
「あいしてくれと、たのんだおぼえもないもの、しるわけもないですよ」
けれどその薄い布の下で、きつくその左手がシーツに縋っていたことを、聡いおとなが見逃している道理もないのだ。
彼の魂を、救い上げたと言うこの、神の御手。
神の愛し給うたという、御手。
彼のぬくもりを、散らせたのは、紛うことなくこの、神の魅入られた手だと言う、のに?
(神の愛の名は、執着なき独占、さ)
遠く何処かで、緋色のおとなの深い声を聴いた気が、した。
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第3夜:ペンタクル より / クロスとアレン・出逢いによせて.